

旧十思小学校校舎
旧十思小学校校舎は, 1928[昭和3]年に竣工した鉄筋コンクリート造の小学校建築である.東京都中央区日本橋小伝馬町に位置し, 1923[大正12]年の関東大震災後に東京市が実施した帝都復興事業の一環として建設された, いわゆる復興小学校117校のうちの一つである.
関東大震災において東京市域の小学校の約三分の二が焼失あるいは倒壊し, 震災前の木造校舎の脆弱性が露呈した.この事態を受け, 東京市は耐震・耐火性に優れた鉄筋コンクリート造による学校建築への転換を図り, 統一的な設計方針のもとで復興小学校の整備を進めた.教室群を南面に配置し, 採光と通風を確保するL字型あるいはコの字型の平面計画, 特別教室の整備, 暖房設備や水洗便所の導入, 避難動線に配慮した高い天井高やゆとりある廊下幅・階段幅など, 当時としては先進的な学校建築の標準化が実現した.
旧十思小学校校舎の最大の特徴は, その外観意匠にある.曲線を強調した隅部やアーチを描く窓, 半円形の柱状意匠など, 1920年代後半に国際的に広がりつつあった表現主義的造形を取り込み, 復興小学校の中でも特に独自性の高いデザインを示している.こうした曲線的意匠は復興小学校全体に共通するものではなく, むしろ旧十思小学校が建築的に際立つ要素として注目されているものである.震災直後に求められた防災拠点としての機能に加え, 都市再生の象徴として地域に新たな希望を与える建築的役割を担っていた点でも意味をもつ.
1990[平成2]年に廃校となったのち, 校舎は中央区の公共複合施設「十思スクエア」として再活用され, 区の施設として現在も利用が続いている.東京都選定歴史的建造物に指定されており, 現存する復興小学校建築の中でも, 昭和初期の学校建築が達成した水準と造形的成熟を今日に伝える貴重な遺構である.復興小学校117校の多くが姿を消した現在, 旧十思小学校校舎は, 関東大震災を契機として展開した近代学校建築の革新を具体的に示す重要な歴史的建造物として高く評価されている.
東京・中央区日本橋小伝馬町@2017-09

今日も街角をぶらりと散策.
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