ぶらぶら絵葉書

旧西陣織物館

旧西陣織物館[現在の京都市考古資料館]は, 大正期に建設された日本初期モダニズム建築の代表例である.1914[大正3]年に竣工し, 当初は西陣織物同業組合が西陣織の作品陳列を目的として設立した展示施設であった.設計者は本野精吾[1882–1944], 施工は清水組[現・清水建設]による.建物の棟札には「大正三年上棟 本野精吾設計, 清水組施工」と記されており, この二者の関与が明確に確認されている.

構造は煉瓦造3階建, 寄棟屋根を戴き, 正面中央に玄関ポーチを付す.外観は単純化された壁面構成と幾何学的比例によってまとめられ, 装飾性を徹底して排除した点に特徴がある.当時の様式主義的な意匠に対し, 抽象的で機能的な造形を採用したことから, きわめて先駆的なモダニズム建築の一つとされる.完成当時, この斬新な意匠は「マッチ箱の上にピラミッドが乗ったようだ」と揶揄されたという逸話が残る.玄関ポーチなど一部には伝統的な様式の要素を残しており, 合理主義的構成と京都的意匠の折衷という点においても注目される.

内部構成は1・2階が展示室, 3階に貴賓室[通常非公開]を有する.貴賓室は, 天井の装飾を簡略化し, 欄間に正円や正方形などの幾何学模様を用いる一方で, 壁面に西陣織のクロスを張るなど, 伝統技術とモダンデザインの融合が図られている.その空間は, 織物産業の威信を象徴しつつ, 建築家本野の合理主義的設計思想を反映したものである.

本野精吾はドイツ・ベルリン工科大学に留学し, バウハウス以前の合理主義的設計思想や構造合理性に関心を深めた.本建築は, 帰国後まもなく手がけた作品であり, 日本におけるモダニズム建築の萌芽を示す極めて早い実例として位置づけられる.建物形式・動線計画・展示構成のすべてにおいて合理性が追求されており, 施主の意図と建築家の理念が高度に融合した建築である.

1976[昭和51]年に堀川今出川下る地に西陣織会館が新設され, 織物関係の展示機能はそちらに移転した.これにより旧館は京都市に移管され, 1979[昭和54]年11月28日に京都市考古資料館として開館した.以後, 京都市内で発掘された埋蔵文化財を中心に展示を行うとともに, 考古学講習・体験講座などを実施する文化施設として活用されている.現在は公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所が指定管理者として運営を担っている.

京・上京区今出川通大宮東入ル元伊佐町@2005-12


今日も街角をぶらりと散策.
index





















- - - -