

旧京都市立教業小学校
旧京都市立教業小学校は, 1869[明治2]年に上京第二十三番組小学校として創設された学校建築である.校名の「教業」は, 平安京左京三条に存在したとされる教業坊に由来するとの説があるが, この由来についても史料上の確証は限定的である.むしろ,教育の業[わざ]を励む,という理念そのものを校名に反映させたと理解する方が妥当かもしれない.この創設は, 1872[明治5]年の学制発布以前に位置し, 極めて早期の小学校設立であった.京都では, 地域単位の自治的組織である番組[町組]が独自に小学校を設立する「番組小学校」制度が展開され, 教業小学校もその一例として, 地域住民の自主的教育への取り組みを示す重要な事例である.
現存する校舎は, 1932[昭和7]年に京都市営繕課の設計により建築された鉄筋コンクリート造3階建である.この時期は, 日本の学校建築が木造から鉄筋コンクリート造へと移行する過渡期にあたり, 関東大震災[1923年]の影響を受けて耐震性・耐火性の確保が強く求められた.京都市営繕課は, 1920年代から30年代にかけて京都市の公共建築を手がけ, 近代建築としての学校建築の典型例を多数残しており, 教業小学校もその代表的作例の一つである.
昭和初期の学校建築は, 機能主義的モダニズムを基調としつつ, 部分的に装飾的要素を残す折衷的性格を持っていた.外観は水平性を強調したファサード構成で, 連続窓列によりリズミカルな表情を形成する.採光・通風を重視する設計思想が随所に現れており, 玄関や角部には幾何学的装飾や縦線強調が見られる.これらの装飾的要素は, 1925年のパリ万博以降に国際的に流行したアール・デコ様式の影響を受けた可能性があるが, 日本の学校建築における装飾は簡素化される傾向にあり, 純粋なアール・デコというよりは, その影響を部分的に取り入れた簡素な幾何学的装飾と理解すべきである.
平面計画は中廊下型を採用し, 南面教室に十分な採光を確保する合理的構成である.階段室は中央または両端に配置され, 防災上の安全性と動線効率が考慮されている.教室の天井高は当時標準的な約3メートルとされ, 児童の健康と教育環境を重視した設計基準に基づく.廊下側上部に設けられた欄間窓により, 教室への間接光の導入と廊下の採光を両立させている.
構造は鉄筋コンクリート造ラーメン構造で, 柱と梁による明快な構造システムが内部空間の自由度を確保し, 将来的な用途変更にも対応可能である.外壁仕上げはモルタル塗りもしくはタイル張りとされ, 耐久性と維持管理の容易さが考慮されている.屋上は平屋根として屋上庭園や運動場として利用可能な設計が施され, 都市部の限られた敷地を有効活用する近代的手法が採用されている.
京・大宮通御池下ル三坊大宮町@2019-01

今日も街角をぶらりと散策.
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