

旧京都市立立誠小学校
旧京都市立立誠小学校は, 明治期に創設された京都市内における代表的な近代小学校建築であり, 日本近代教育の制度化と都市空間形成の両面において重要な位置を占める建築である.その起源は1869[明治2]年11月1日に創設された「下京第六番組小学校」に遡り, いわゆる「番組小学校」のひとつとして京都の学制改革を先導した.明治初年の京都では, 町組を単位とする自発的な教育組織が1872[明治5]年の学制発布以前から成立しており, 立誠小学校は全国初の学区制小学校群の嚆矢の一つである.したがって, 同校は単なる教育施設というよりも, 地域共同体による近代化の実践空間として位置づけられる.
1874[明治7]年には三川学校と改称され, 1877[明治10]年に第2代京都府知事槇村正直が『論語』の一節「立誠而居敬」から「立誠校」と命名した.「人に対して親切にして欺かないこと」を意味するこの校名は, 学校の教育理念を象徴している.
当初は河原町三条下ル大黒町[現・中京区大黒町]に所在していたが, 1924[大正13]年の新京極大火により校舎の大部分が焼失した.その後, 江戸時代に土佐藩邸跡があり, 明治以降は京都電燈株式会社[現・関西電力の前身企業のひとつ]の敷地であった木屋町蛸薬師の地に移転することとなった.なお, この敷地では1897[明治30]年に稲畑勝太郎らによる日本初のシネマトグラフ試写実験が行われており, 「日本映画発祥の地」としても知られている.
現在残る校舎は, 1926[大正15]年9月に着工し, 1928[昭和3]年1月21日に竣工した鉄筋コンクリート造3階建の近代建築であり, 設計は京都市営繕課によるものである.建築様式は, ロマネスク様式の影響を受けつつ, 装飾を抑えた合理的構成が特徴である.ファサードは左右対称の構成をとり, 中央部にアーチ型の玄関ポーチを備える.柱頭飾や装飾を施したバルコニー, アーチ形窓枠などにみられる控えめな装飾性は, 昭和初期の官公庁建築や学校建築に共通するモダニズム過渡期の性格を示している.壁面はモルタル仕上げ[漆喰ではない]であり, 水平連続窓のリズムと軒線の強調により, 端正で安定感のある立面構成を形成している.この様式的特徴は, 当時の教育建築が持っていた「公共性と清廉さ」の象徴的表現と理解される.
用地取得費43万3000円, 建設費38万5380円, 総工費81万5592円という当時としては異例の高額な事業費は, 住民からの寄付金, 家屋税, 起債によって賄われた.この校舎は京都市内に現存する最古の鉄筋コンクリート造校舎であり, 京都の小学校としては初の鉄筋コンクリート造である.
内部空間は, 中廊下型平面を基調とし, 教室を南面に配置することにより採光と通風を確保している.階段室や廊下には鉄製手摺やモザイクタイルが施され, 素材の持つ堅牢さと衛生的印象が重視されている.これは, 衛生思想の普及と教育施設の近代化が密接に関連していた当時の社会的文脈をよく反映している.
特別教室の多様さは特色のひとつであり, 1階には唱歌教室・地歴教室・図書教室, 2階には理化学教室・手工教室・裁縫教室・ミシン教室・児童研究室[計量器室], 3階には修身作法室である「自彊室[じきょうしつ]」が設けられた.この自彊室は約60畳の畳敷き大広間で, 道徳や礼儀作法を教育する場であった.さらに普通教室や理科室・地歴室など特別教室9室が備えられた.また, 講堂兼雨天体操場, そして京都市の小学校として初めてのプールも設けられた.校舎は北棟と南棟からなり, 南棟の東端に講堂兼雨天体操場がある.この講堂兼雨天体操場は同時期に成徳校, 淳風校, 銅駝校にも建設されたが, 現存しているのは立誠校のみである.これらの施設は, 教育以外の地域利用を前提とした空間も含まれており, 地域コミュニティとの共用性を意識した設計がなされている.立誠小学校が長らく地域の文化・社会活動の拠点であり続けた背景には, この建築的な柔軟性があったといえる.
戦後は教育制度の変遷とともに統廃合の対象となり, 1993[平成5]年3月31日に閉校となり, 124年の歴史に幕を下ろした.その後も校舎は保存され, 文化施設や地域交流拠点として「元・立誠小学校」の名で活用されてきた.閉校後は演劇, 音楽, 展覧会, フリーマーケット等のイベントが年間100件以上開催され, 2013年には立誠シネマ[特設シアター]も開設された.
2017[平成29]年11月に京都市, 立誠自治連合会, ヒューリック株式会社による跡地活用計画が合意され, PPP事業として開発が進められた.2018[平成30]年から60年間の定期借地権が設定され, 耐震補強と改修を経て, 2020[平成32]年7月に「立誠ガーデン ヒューリック京都」として再生された.ホテル[ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC], カフェ, 劇場[ヒューリックホール京都], 図書館[立誠図書館], 自治会館など多機能複合施設へと転用されており, 設計は竹中工務店が担当した.
この保存再生の過程では, 外観意匠や主要構造の保存を前提としつつ, 現代的用途に対応する内部改修が行われた点が特筆される.特に3階の「自彊室」は, 床の高さが変わるため内装木材を解体・復元する必要があったが, 古材のため復元できない可能性を考慮し, 部屋全体を持ち上げて保存するという高度な技術が採用された.柱の傷, 机, 建具なども実際に使われていたものが再利用されている.また, 立誠図書館では理科室の実験道具棚や音楽室・保健室の椅子などが再利用されている.すなわち, 旧立誠小学校は近代学校建築の歴史的証言であると同時に, 地域遺産として保存再生のモデルを示した建築でもある.
京・蛸薬師通河原町東入ル備前島町@2017-01

今日も街角をぶらりと散策.
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