

夷川発電所
夷川発電所は, 大正初期に京都市が建設した水力発電施設であり, 日本における近代的都市電化の初期段階を示す重要な事例である.1908[明治41]年10月に琵琶湖第二疏水が着工され, 1912[明治45]年4月に完成した後, 同年11月に第二疏水計画の一環として伏見発電所[墨染発電所]とともに発電所の建設が計画され, 1914[大正3]年4月に完成した.所在地は, 蹴上発電所の下流約2キロに位置し, 夷川船溜[夷川ダム]に臨む場所に当たる.
建物はレンガ造平屋建てで, 高さ10.1メートル[33.52尺], 建築面積100.9平方メートル[30.6坪]の規模を有する.当時の最新技術を導入しており, 外観は赤レンガ造りで窓のアーチや入口装飾が整えられ, 近代建築の黎明期における工学的合理性と美的意匠の融合を示す.蔦の絡まる外観は周辺景観と調和し, 設計には京都市の技師が関与したと考えられる.運転開始時の発電設備は, 英ボビング社製4連フランシス水車と米ウエスティングハウス社製三相同期発電機であった.
夷川発電所は, 蹴上発電所が33.5メートルの落差を利用して発電しているのに対し, わずか3.4メートルの落差で発電しており, 認可最大出力300キロワット, 常時出力280キロワットと小規模であるが, 都市で使用するのに適した性質を持つ.水路式[流込み式]を採用し, 最大使用水量13.91立方メートル毎秒, 常時使用水量9.41立方メートル毎秒で運転されている.
運転開始以来, 京都市の所有として稼働していたが, 1951[昭和26]年5月1日に電気事業再編成令により関西電力株式会社の所有となった.1992-1993年に水車および発電機を交換する設備更新工事が行われ, 国産S形チューブラー[横軸カプラン]水車と横軸三相交流同期発電機に更新された.これにより, 建設以来100年以上にわたり京都市内に電力を供給し続け, 現在も家庭約500軒分の電力を生み出している.
2001年には「琵琶湖疏水の発電施設群」として, 蹴上発電所, 墨染発電所とともに土木学会選奨土木遺産に認定された.また, 森見登美彦の小説『有頂天家族』や『四畳半神話大系』では本発電所も舞台の一部として登場している.
夷川発電所のある鴨東運河[岡崎疏水]は, 南禅寺船溜から鴨川への流入口まで約2キロの距離で, 平安神宮や岡崎の文化施設の前を通り, 最後は広々とした水面の夷川船溜へ注ぐ.春は桜の名所として花見で賑わい, ゴールデンウイークには観光客を乗せた十石舟が行き交うなど, 京都でも人気の親水空間となっている.その建築は単なるインフラ設備にとどまらず, 工業建築が都市景観と調和しうることを示している.
京・左京区聖護院蓮華蔵町@2018-01

今日も街角をぶらりと散策.
index