

南座
南座は, 歌舞伎を中心とする演劇興行の歴史を語る上で不可欠の劇場である.江戸時代初期にその起源をもち, 現在に至るまで京都・四条河原界隈における文化的ランドマークとして存続してきた点で, 建築史的にも都市史的にも極めて貴重な意義を有している.
その起源は慶長年間[1596/1615]に遡る.1603[慶長8]年に出雲阿国が京市中で「かぶき踊り」を披露したことにより, 四条河原一帯が芝居町として発展した.元和年間[1615/1624]には幕府公認の「櫓」を備えた芝居小屋七座が形成され, その中に「南の芝居[みなみのしばい]」が存在していた.18世紀には度重なる火災などにより芝居小屋の廃絶が続き, 江戸時代後期には四条通南側[南の芝居]・北側[北の芝居]・大和大路西側[西の芝居]の三座が残った.西座は1794[寛政6]年の大火後に再建されず, 以後二座体制となった.その後, 南座の向かいにあった北座は1893[明治26]年, 四条通拡張に伴い閉鎖され, 南座のみが残った.明治中期以降, 「南座」という名称が定着した.
1906[明治39]年には白井松次郎・大谷竹次郎兄弟が松竹合名会社を設立し, 南座の経営を引き継いだ.1913[大正2]年には大改築を行い, 定員1436人を擁する木造大劇場として再出発した.現在の建物は1929[昭和4]年1月に建て替えに着手し, 同年11月に竣工, 同月25日に開場式が挙行された.設計施工は白波瀬工務店が担当し, 設計実務を担ったのは元京都市営繕課長・安立糺である.
現建物は鉄骨鉄筋コンクリート造, 地上5階[実質4階], 地下1階建の構造を有する.桃山風の破風屋根と櫓を備え, 外観は桃山時代の城郭建築を思わせる意匠をもつ.一方で内部には折上格天井, シャンデリア, アール・デコ調の照明器具など昭和初期モダニズムの意匠が取り入れられており, 伝統と近代の融合を体現している.外壁の意匠, 窓の配置, 屋根勾配の構成は重層的であり, 劇場としての威容を保ちながらも都市景観に調和するように設計されている.
1991[平成3]年には松竹株式会社会長・永山武臣の主導により, 外観を保存したまま内部を全面改修し, 最新設備を備えた近代劇場として再生された.同年11月の新装開場記念「吉例顔見世興行」により, 平成の南座が新たに幕を開けた.さらに2016年から2018年にかけては大規模な耐震補強と改修が実施され, 建物全域をスケルトン化して耐震壁や支柱の補強を行い, 耐震性能を大幅に向上させた.この改修では3D点群データおよびBIM[Building Information Modeling]を用いた精密な構造解析と記録保存が行われ, 歴史的外観の忠実な保存と現代的機能の導入が両立された.
舞台には回り舞台, せり, 花道など伝統的な歌舞伎劇場の機構が完備され, 桟敷席・椅子席・三階席が多層的に配置されている.改修後はロビー, 休憩所, 多機能トイレ, エレベーターなどが新設され, 観劇環境が著しく改善された.
南座が位置する四条河原界隈は, 古くから芝居興行が集中した地域であり, 京都が「歌舞伎発祥の地」と称される根拠の一つとなっている.歳末恒例の「吉例顔見世興行」は, 江戸以来の伝統を現代に継承するもので, 戦中も一度も途絶えることなく続けられた.毎年12月の顔見世興行の際には, 南座正面に出演俳優の名を記した「まねき看板」が立ち並び, 京都の冬の風物詩として市民に親しまれている.
南座は1996[平成8]年に登録有形文化財に登録され, また京都市歴史的意匠建造物にも指定されている.伝統と革新が共存する南座は, 単なる劇場建築を超えて, 京都の都市文化と芸能史を象徴する存在であり続けている.
京・東山区四条通大和大路西入ル中之町@2006-08

今日も街角をぶらりと散策.
index