ぶらぶら絵葉書

旧川崎貯蓄銀行富沢町支店

旧川崎貯蓄銀行富沢町支店は, 昭和7[1932]年に東京川崎財閥系の川崎貯蓄銀行の支店として, 東京都中央区日本橋富沢町に建設された鉄筋コンクリート造の銀行建築である.当初は地下1階・地上2階建てであったが, 後年に建物背後の増築, 中2階の新設, さらに屋上への3階増築などが行われ, 現在は地下1階・地上3階建ての構成となっている.設計は川崎貯蓄銀行建築課, 施工は竹中工務店が担当した.

設計には, 東京川崎財閥の建築を多数手がけた建築家・矢部又吉が関与したと推定される.矢部は1888[明治21]年横浜生まれで, 工手学校[現・工学院大学]建築科卒業後, 妻木頼黄の下で実務経験を積んだ.1906[明治39]年に渡独し, シャルロッテンブルク工科大学[現・ベルリン工科大学]建築科で修学しつつ, ドイツ人建築家ゼール[Zehle]に師事した.1911[明治44]年に帰国後は, 日本庭園株式会社を横浜に設立し, 庭園・建築関連の設計に携わりながら, 川崎財閥関連建築の設計を多く手がけた.矢部は銀行建築における実績で知られ, プロイセン・バロックや新古典主義の語法を巧みに用い, 重厚で細部まで作り込まれた装飾を得意とした.

本建物は, 間口約10メートル, 奥行約30メートルという細長い敷地形状を生かした平面構成を持ち, 街区の角地に立つ利点を生かして北西角の隅切り部に玄関を設けている.外観は古典主義様式を基調とし, 北面と西面に溝彫り[フルーティング]を施したコリント式の大オーダーを配する.これらのコリント式円柱は1・2階を貫く大オーダーとして用いられ, アカンサス葉をあしらった柱頭が建物に威厳と格調を与えている.玄関部にはイオニア式の要素を取り入れた繊細な意匠が見られ, 全体としてはネオ・ルネサンス様式を基調としながら, 比較的小規模ながら均整のとれた古典的プロポーションを実現している.

川崎貯蓄銀行は, 明治14[1881]年に茨城県で東海貯金銀行として設立され, その後東京に本拠を移して川崎貯蓄銀行と改称した.普通銀行である川崎銀行とは異なり, 小口預金を中心とした庶民金融を担当した.昭和11[1936]年に第百銀行と合併し, さらに昭和18[1943]年に三菱銀行との合併を経た.富沢町支店は昭和12[1937]年に同じく旧東京川崎財閥系の常陽銀行が引き継ぎ, 戦前は東京支店, 戦後は堀留支店として約60年にわたり営業を続けたが, 平成10[1998]年の常陽銀行東京営業部への統合により廃店となった.

平成12[2000]年, 耐熱ガラスメーカーのハリオグラス株式会社[現・HARIO株式会社]が創業80周年記念事業として本建物を取得し, 本社ビルとして改修のうえ活用した.現在はショールームを併設する本社施設として運用されており, 歴史的建造物の保存と再利用の好例となっている.平成15[2003]年7月1日には国の登録有形文化財[建造物]に登録された.

昭和初期の銀行建築には, 金融機関としての堅実性・信頼性・威厳を外観に表現することが求められた.本建物は, その要請に応えつつ, 角地という敷地条件を活かした構成と古典主義様式の厳密な運用によって, 街並みに重厚な存在感を与えている.建築に強い関心を持った川崎財閥第二代総帥・川崎八右衛門の趣味性と, 矢部又吉がドイツ留学で培った歴史主義建築の素養が結実した建築作品として, 昭和初期の銀行建築の特質を伝える貴重な例である.

東京・中央区日本橋富沢町@2025-03


今日も街角をぶらりと散策.
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