ぶらぶら絵葉書

日本橋野村ビル

日本橋野村ビルディング旧館は, 東京都中央区日本橋一丁目9番1号に所在する歴史的建造物であり, 1930[昭和5]年に竣工した.野村財閥[野村コンツェルン]が東京進出の本格的拠点として計画したもので, 野村銀行[財閥解体で大和銀行となり,その後,あさひ銀行と合併しりそな銀行となる]の東京支店ビルとして建設された.設計は安井武雄[1884/1955], 施工は大林組である.構造は鉄骨鉄筋コンクリート造, 地上7階・地下2階建てで, 竣工当初の敷地面積334.880坪, 建築面積302.008坪, 延床面積2,384.551坪という規模をもっていた.

現存する旧館は, かつて本館[1959年増築]および別館[1981年増築]とともに三棟構成を成していたが, 日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業に伴い, 本館と別館は解体された.旧館は2018[平成30]年4月1日に中央区指定有形文化財となり, 外観を保存したうえで内部を改修し, 4階建ての複合施設[店舗・業務施設]として再生される計画である.所有者は, 旧財閥系資産を管理する野村殖産であり, 野村ホールディングスや野村證券の所有ではない.

外観は, 外壁仕上げの差異によって構成される三層構成に特徴がある.この構成は, 安井武雄が「足元と頭を軽く中間を重くする」という造形理念, すなわち動的均整の思想に基づき構築したものである.1階の基壇部には, 創建時に用いられた五島産石材が戦後の修繕時に稲田花崗岩へと張り替えられており, 角柱を立ち並べてコーニスを回すことで, 重量感をもつ基部を形成している.中層部の2階から6階は濃褐色の平滑タイルを用い, 縦長窓が上下に連続する立面が引き締まった量感を生んでいる.6階の上下には控えめなテラコッタ装飾が施され, 過度な装飾性を避けながらも均衡と軽快な律動を与えている.7階はセットバックし, 白色のモルタル仕上げと曲面の隅角部, 格子窓によって視覚的に軽やかな最上層を形成する.西側には緩勾配の銅板葺屋根と相輪を思わせる鉄塔が載り, 東洋的な造形感覚を示す独自の表現が確立されている.

この建築は, モダン・ムーブメントの転換期における特徴を的確に体現した作品として位置づけられ, 2012年にはDOCOMOMO JAPANにより「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定されている.安井武雄は, 日本橋という都市の要衝に建つ建物として, 既存の東京のビル群の模倣ではない独自のオフィス建築を創造する意欲を強く持っていたとされ, 本作はその思想の集大成の一つとして高く評価されている.

竣工当初は野村銀行東京支店として使用されたが, 終戦後の1946[昭和21]年11月3日にGHQに接収され, 「リバービューホテル」として1952[昭和27]年10月20日まで米軍関係者の宿泊施設として使われた.接収解除後, 1953[昭和28]年以降は野村證券本社として利用され, 用途変更と改修を重ねながらも創建当初の意匠性や主要部材の一部を維持してきた.

日本橋野村ビルディング旧館は, 日本橋南東側の橋詰広場[通称「滝の広場」]に隣接し, 日本橋川に沿って東西に細長く敷地を占める.西側正面の間口は約20メートル, 奥行き約50メートルの平面構成である.日本橋側の壁面上部に掲げられた「野村證券」の表示は長年にわたり地区の視線を集める存在であり, 近代建築としての完成度とともに, 日本橋橋詰に現存する希少な歴史的建物として景観形成に大きく寄与している.

再開発事業は現在も進行しており, 旧館は外壁と1階躯体を保存しつつ内部を全面改修する方針が採られている.3階・5階・7階の床を撤去して階高調整を行い, 4階建ての複合施設として再生される.再開発計画では, 52階建て・高さ約284メートルの高層棟[ホテル・オフィス等を含むメインタワー], 7階建て住宅棟, 商業施設群が整備される予定であり, 全体の完成は2026年度末が見込まれている.野村グループはメインタワー10階から20階部分に新本社を移転する計画であり, 旧館の歴史性と新たな都市拠点形成とを接続する象徴的事業となっている.

東京・中央区日本橋@2023-11


今日も街角をぶらりと散策.
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