

レストラン矢尾政[東華菜館]
レストラン矢尾政[現:東華菜館]は, 大正末期から昭和初期にかけての京都都市建築の重要な作例である.建築主は京都の老舗料理店「矢尾政」の二代目店主・浅井安次郎であり, 当初は西洋料理店「矢尾政」の新店舗として建設された.設計はアメリカ出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ[William Merrell Vories, 1880-1964]が担当し, 竣工は1926[大正15]年である.
ヴォーリズは1905[明治38]年に来日し, 主に近江八幡を拠点に学校建築や住宅建築, 教会建築を手がけた.商業建築の事例は比較的少なく, 東華菜館はその中でも注目すべき作品として位置づけられる.ヴォーリズ建築事務所は, 同志社大学諸建築群, 大丸心斎橋店本館[1922年]など関西圏で多くの作品を残しており, 東華菜館もその系譜に連なる.
建物は鉄筋コンクリート造地上5階建で, 構造技術は当時として先進的であった.外観はスパニッシュ・ミッション・リヴァイヴァル/スパニッシュ・バロック・リヴァイヴァルを基調とし, 幾何学的装飾による折衷的デザインを示す.ファサードは四条通に面し, 1階は商業施設として開放的に構成され, 2階以上は縦長窓列によってリズミカルな立面表現を形成している.窓周りや壁面にはスクラッチタイルや装飾テラコッタが用いられ, 陰影に富んだ立体的な表面処理がなされている.角部や頂部には装飾的な処理を施した塔屋が設けられ, 展望スペースとして鴨川や四条大橋を望む構成となっている.バルコニー状の空間は鴨川側に張り出し, 眺望を重視した設計意図がうかがえる.
四条大橋西詰という立地は, 鴨川と祇園を結ぶ京都の都市軸上の要所であり, 東華菜館はこの場所性を最大限に活かした設計となっている.周囲の伝統的な町家や寺社建築とは明らかに異なる様式を持ちながら, スケール感や素材の選択において都市景観との調和が図られている.
内部空間は各階をレストランフロアとして計画し, 柱間を広く取った開放的な構成である.鉄筋コンクリート構造体を意匠的に見せる手法が用いられ, 天井高も充分に確保されている.階段室は中央に配置され, 各階の動線を統合する要となる.手摺や照明器具など細部にも装飾的意匠が施されている.エレベーターは竣工当初から設置され, これは当時の京都の商業建築としては先進的な設備であった.このエレベーターは現在も稼働しており, 手動式の古典的なエレベーターとして建築の歴史的価値を高めている.
構造は鉄筋コンクリート造ラーメン構造で, 1923年の関東大震災以降に普及した耐震思想を反映している.外壁仕上げにはスクラッチタイルや装飾テラコッタを用い, 耐久性と意匠性を両立させている.屋根は陸屋根とし, 屋上の利用を前提とした近代的設計がなされている.
建築主である浅井安次郎は, 西洋料理店への業態転換という商業的挑戦を試みた人物である.明治以降の京都では, 伝統的な京料理に加えて西洋料理が普及しつつあり, 東華菜館[当初は矢尾政]はその先駆的事例であった.四条河原町という繁華街の一等地に, 当時最新の鉄筋コンクリート造建築を建設することは, 相当な資本投下を必要とし, 浅井の商業的野心と時代を先取りする感覚を示している.
東華菜館は, 1926年の竣工当初は西洋料理店「矢尾政」として営業され, 1945[昭和20]年以降, 中国料理店「東華菜館」として転用された.この転用は, 戦後の社会状況の変化と食文化の多様化を反映している.建物の構造や内装の多くは維持され, 用途転用にもかかわらず建築の歴史性は保たれてきた.このことは, ヴォーリズの設計が用途の柔軟性を持っていたことを示すとともに, 所有者・経営者による建築への敬意を物語っている.
1996[平成8]年に国の登録有形文化財に登録され, 2008年[平成20年]には京都市指定有形文化財に指定された.これにより保存・修復のための法的枠組みが整備された.近年も継続的に修復工事が行われており, 外壁補修や設備更新など, オリジナルの意匠を尊重した修復が実施されている.
東華菜館の建築史的意義は, 複数の文脈において評価できる.第一に, ヴォーリズという外国人建築家による商業建築の稀少な事例として, 彼の建築思想の多様性を示している.ヴォーリズは一般に住宅建築で知られるが, 東華菜館はその枠を超えた表現の幅を示す.第二に, 大正末期における京都の都市建築の様相を示す貴重な実例である.この時期の京都では, 伝統的な木造町家と近代的な鉄筋コンクリート造建築が混在する過渡的な都市景観が形成されており, 東華菜館はその象徴的存在である.
第三に, スパニッシュ・バロック様式という, 当時の日本ではまだ珍しい様式の受容例として注目される.1920年代の日本建築界では, 欧米の様々な歴史様式が紹介され, 折衷主義的な設計が盛んに行われた.東華菜館は, そうした様式の実験場としての性格を持つ.第四に, 商業建築としての機能と文化財としての価値の両立という, 近代建築保存の模範的事例である.現在も営業を続けながら, 建築の歴史性を維持することは, 都市の文化的連続性を保つ上で重要な意味を持つ.
第五に, 京都の都市景観における「異質性の調和」という問題を提起している.東華菜館のスパニッシュ・バロック様式は, 京都の伝統的景観とは明らかに異質である.しかし約100年にわたる存在を通じて, この建築は京都の景観の一部として受容されてきた.この事実は, 都市景観における「伝統」と「革新」の関係, あるいは「地域性」と「普遍性」の緊張関係について, 重要な示唆を与える.
ヴォーリズの設計思想という観点からも, 東華菜館は興味深い.ヴォーリズは「建築は人間の生活に奉仕するものである」という理念を持ち, 機能性と美的品質の調和を追求した.東華菜館においても, レストランとしての機能的要求[厨房配置, 客席配置, 眺望の確保, 動線計画]と, 都市のランドマークとしての象徴性が両立されている.また, ヴォーリズは自然環境との調和を重視したことで知られるが, 東華菜館における鴨川への開放性は, この思想の表れと理解できる.
構造技術史の観点からは, 1920年代における鉄筋コンクリート造技術の地方都市への普及を示す事例として重要である.関東大震災後, 耐震性の高い鉄筋コンクリート造が推奨されたが, その技術が京都にも波及したことを東華菜館は示している.また, 商業建築における設備技術[エレベーター, 給排水, 電気設備]の導入という点でも, 当時の技術水準を知る手がかりとなる.
東華菜館は, 建築主・浅井安次郎の商業的先見性, 設計者ヴォーリズの建築思想, 大正末期の京都の都市状況, 鉄筋コンクリート造技術の普及, スパニッシュ・バロック様式の受容, 戦後の用途転用と保存活用という, 複数の歴史的文脈が交錯する地点に位置している.京都の近代建築史を理解する上で, また日本における外国人建築家の活動を考察する上で, 本建築は欠くことのできない重要な事例である.現在も営業を続けながら文化財としての価値を維持している東華菜館は, 近代建築の保存活用における理想的なモデルの一つとして, 今後も注目され続けるべき存在である.

京・四条大橋西詰@2011-01

今日も街角をぶらりと散策.
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