

井関家住宅
井関家住宅は, 京都市北区上賀茂北大路町に所在し, 時代を越えて京都の社家町並みを象徴する名邸である.代々上賀茂神社に奉仕してきた社家, 井関家の住宅として, その構えや意匠に社家住宅特有の構成を色濃く残している.井関家は, 賀茂十六流のうち「直」の流れに属する家柄で, 安永年間[1772–81]に描かれたと伝わる「加茂社家宅七町大旨之図[写]」には, 現位置西向きに当家が描かれており, 屋敷地が当時から変わっていないことがわかる.
建物は平屋を基調としつつ, 明治初年に望楼風の三階建てを中央に増築しており, 縦方向に視線を誘導する造りが町並みの中でひときわ異彩を放っている.事実, この望楼風の増築部分は景観上のランドマークとして, 上賀茂社家町の特徴的な景観を形成している.建築年代は明確な史料を欠くが, 座敷床の間の奥行が浅く古式な手法がみられることから, 江戸時代後期のものと推定される.
主屋の外観は, 正面北寄りに鳥居型の内玄関と式台を並べ, 南の妻面を柱と貫で飾るなど, 社家住宅としての格式を整えている.こうした意匠は, 神社奉仕の家柄としてのアイデンティティを住宅建築に反映したものである.構造仕様は木造を基本とし, 屋根は切妻造桟瓦葺である.また敷地内には1847[弘化4]年建立の土蔵が現存し, 表門や土塀も残るなど, 付属建築や外構も含めて江戸期から明治期にかけての社家住宅の変遷を物理的に伝えている.
庭園は枯山水で構成され, 石灯籠や手水鉢の前に龍の口の排水口を備えるなど, 神事と結びついた装飾がみられる.かつて社家の家では神事に用いるため譲葉[ゆずりは], 榊[さかき], 小賀玉木[おがたまのき]の三種を必ず植えていたといわれ, この庭にも大きな小賀玉木が残り, 社家としての神社奉仕生活の一端を示している.
井関家住宅が位置する上賀茂社家町は, 室町時代から上賀茂神社に仕えた神官[社司および氏人]と農民が集住した特殊な性格をもつ集落であり, 一般に社家町と呼ばれるようになった.上賀茂神社の境内を流れるならの小川が境内を出ると明神川と名を変えて東に流れ, この明神川沿いに社家が旧態のまま連担しており, 他所では失われた貴重な社家町の景観が清々しく残っている.1988[昭和63]年には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている.
この町並みにおいて, 井関家住宅は明神川に架かる土橋, 川沿いの土塀, 社家の門といった視覚的構成を通じて, 社家町における住宅形式と町並保存の意義を伝える典型的な建築である.現在, 井関家住宅の一部は「手作り香袋・匂い袋『いせき』」として活用されており, 鳥居型の内玄関にちりめんを用いた香袋や匂い袋が並べられている.井関家住宅は1988[昭和63]年5月2日に「京都市登録有形文化財」に登録され, 上賀茂の社家住宅の屋構えをよく伝える貴重な遺構として, 京都の社家町文化を今に伝えている.
京・上賀茂北大路町町@2004-03

今日も街角をぶらりと散策.
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