

旧京都市立成徳中学校
旧京都市立成徳中学校の竣工は1931[昭和6]年5月5日で, 鉄筋コンクリート造・地上3階建ての校舎として建設された.設計は京都市営繕課によって行われ, 施工者の詳細は不明である.本建物は, 1920年代から30年代に多く建てられた学校建築の一つであり, 現存する数少ない昭和初期の学校建築として貴重な存在である.
建築様式は, 昭和初期の公共建築に特徴的な合理主義的デザインを基調としつつも, 豪華な装飾性を併せ持つ点が特徴的である.窓にはアーチが採用され, 1階の壁面には凝灰岩[大谷石]が貼られ, 玄関角には銅板装飾が施されており, 豪華な印象を与えている.建築家フランク・ロイド・ライトが同時期に大谷石を多用していたことから, 彼の影響を受けて建てられたのではないかといわれている.
内部空間も高い意匠性を備えており, 玄関ホールはタイルが張り巡らされ, 階段は一枚板の段板が敷かれ, 階段壁面にもタイルが貼られた豪華な造りとなっている.手すりは石製で, そのデザインにもフランク・ロイド・ライトの影響が見られる.校舎はL字型の平面構成を採用し, 南面する教室には十分な自然光が確保されるよう設計されている.柱と梁にはハンチ[梁と柱の接合部]に装飾が施され, 等間隔に並ぶ柱が規則的なリズムを生み出している.木製の床板が用いられるなど, 機能性と意匠性が両立された空間構成となっている.
構造面では鉄筋コンクリート造ラーメン構造が採用され, 耐震性と耐火性を確保している.この本校舎が建設された背景には, 京都の商工業の中心地に位置し, 豊かな地域住民が多かったため, 豪華な造りの学校を建てることができたという地域的特性がある.
旧京都市立成徳中学校は, 1869[明治2]年に設立された番組小学校の一つである成徳小学校を前身とし, 1947[昭和22]年に学制改革により成徳中学校が併置開校した.1948[昭和23]年に小学校が閉校となり成徳中学校として独立し, 2007[平成19]年に下京区内の5校と統合され閉校となった.
現在は京都文化協会, 市民大学院, 祇園祭山鉾連合会, 京都私学協会, 学区民などによって利用されており, 当初の構造や意匠を概ね保持したまま, 文化施設として現代的な利用に対応している.また, 下京中学校成徳学舎として, 部活動や体育祭等でグランドや新体育館が使用されている.このことは, 昭和初期の公共建築が持つ耐久性と柔軟性を示す例であり, 廃校後も京都のモダン建築の一つとして校舎が開放されることがあるなど, 京都市の近代建築史における重要な位置を占める.
旧京都市立成徳中学校校舎は, 京都市営繕課による設計事例として, 1930年代における学校建築の合理主義的手法, 鉄筋コンクリート造の技術的成熟, および教育施設の都市計画上の位置づけを具体的に示す建築物である.また, フランク・ロイド・ライトの影響を受けた意匠性の高い建築として, 文化施設への転用により, 歴史的建築を現代社会に活用する好例としても評価される.
京・高辻通室町西入ル繁昌町@2005-12

今日も街角をぶらりと散策.
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