

都営地下鉄新宿線[S]
新宿線の構想は, 戦後の東京における交通需要の増大と, 既存の都営地下鉄浅草線に次ぐ東西軸の整備を目的として1950年代に遡る.当初は「都営6号線」として計画され, 都心から東方へ延びる幹線として構想された.1960年の都市交通審議会答申第6号で路線計画が明確化され, 1962年から1963年にかけての答申で「都心東西方向の新線」建設が位置づけられたことにより, 具体化が進んだ.1968年の都市交通審議会答申第10号により, 現在のルートがほぼ確定した.
1971年に着工し, 最初の区間である岩本町駅—東大島駅間が1978年12月21日に開業した.これにより, 東京の東部地域から都心への新たなアクセスルートが形成された.その後, 1980年3月16日に西側の新宿駅まで延伸され, 同年9月14日[当初計画から変更]には東側の本八幡駅[京成電鉄本八幡駅・JR本八幡駅との接続]まで全線が開通した.これにより, 東京都心と千葉県市川市とを直結する新たな通勤路線が完成したのである.
新宿線の特徴の一つとして, 京王電鉄との相互直通運転が挙げられる.1980年の新宿延伸と同時に京王線との接続が実現し, 京王新線[新線新宿駅—笹塚駅間の地下区間, 1978年開業]を介して京王線・相模原線方面への直通列車が運行されるようになった.この直通運転により, 都心部を経由する乗り換えが不要となり, 京王沿線と都心東部との移動効率が飛躍的に向上した.これは, 東京の地下鉄と私鉄との間で実用的な相互直通運転を実現した重要な事例の一つである.
新宿線の建設には, 地質や用地取得などの技術的課題も多く存在した.特に都心部では既存地下鉄や道路, 河川, 地下埋設物などとの交差を避けるため, シールド工法が多用された.また, 荒川・中川・旧中川などの大河川の下を横断する区間では, 耐水・耐震構造が重視され, 当時としては高度な土木技術が導入された.特に荒川横断部では, 河川下約30メートルの深さにトンネルが建設されている.
開業当初から, 都営新宿線は通勤・通学輸送を中心とした高需要路線として発展した.新宿・市ヶ谷・九段下・神保町・馬喰横山など, 都心の主要オフィス街・商業地を結ぶとともに, 瑞江・東大島・船堀・篠崎といった江戸川区の住宅地域の発展を促した.特に1970年代から1980年代にかけての沿線開発は, 新宿線の整備と並行して急速に進展し, 東京の都市構造に新たな東西軸を形成したといえる.
現在, 新宿線では10両編成の電車が運行され, 朝のラッシュ時には最短2分間隔での高頻度運転が行われている.車両は10-000形・10-300形[1次車から4次車まで]などが使用され, 京王電鉄との直通運転に対応している.新宿駅では京王線との乗り換え, 神保町駅では東京メトロ半蔵門線・三田線, 九段下駅では東京メトロ東西線・半蔵門線との乗り換えが可能であり, 東京の地下鉄ネットワークにおける重要な結節点となっている.

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今日も街角をぶらりと散策.
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