

東京メトロ東西線[T]
路線の構想は戦前にまで遡るが, 具体的な計画が進展したのは戦後の復興期であった.1946年に戦災復興院が策定した「東京復興都市計画鉄道」5号線がその原型であり, その後の急速な人口集中と通勤輸送の逼迫を背景に計画が具体化した.都心部を東西に横断し千葉県方面まで直通する交通軸は長年脆弱であり, 国鉄中央線・総武線への負担集中が深刻化していた.1962年の都市交通審議会答申第6号において, 中野から高田馬場・飯田橋・大手町・茅場町・東陽町を経て船橋方面へ向かう路線として正式に位置づけられ, 同年10月に高田馬場–九段下間の工事が着工された.建設主体は1941年に設立された帝都高速度交通営団[営団地下鉄]であり, 戦後も東京の地下鉄建設を主導していた組織である.
最初の開業区間である高田馬場–九段下間[4.8キロメートル]が開通したのは1964[昭和39]年12月23日のことである.1964年は東京オリンピック開催の年であったが, 沿線の早稲田大学施設が競技会場として使用されたため工事はオリンピック期間中に大幅な中断を余儀なくされた.また当区間は他の地下鉄路線と接続しない独立した地下区間であったため, 開業に必要な車両をトンネル上部から吊り下ろすという異例の搬入方法が採られた.開業時は国鉄との直通運転を前提に設計された20メートル級車体の5000系が投入された.
その後路線は段階的に延伸された.1966[昭和41]年3月16日には九段下・竹橋・大手町・日本橋間が延伸され, 同年10月1日には日本橋–東陽町間が開通して都心の骨格が形成された.1969[昭和44]年3月29日には東陽町–西船橋間および高田馬場–中野間が同時に開業し, 中野–西船橋間30.8キロメートルが全線開通した.西船橋延伸は営団として初めて東京都境を越えて千葉県へ乗り入れた先駆的事例であり, 首都圏の都市交通が行政境界を越えて一体化していく過程を象徴する出来事であった.
他社線との相互直通運転は東西線の骨格を成す重要な特徴である.西側では1966年4月28日の中野延伸開業と同時に国鉄中央線との直通運転が荻窪まで開始され, 1969年の全線開通に際して三鷹まで延長された.東側では同じく1969年3月29日の西船橋延伸と同時に国鉄総武線との相互直通運転が開始され, 三鷹から東西線を経由して西船橋・津田沼方面まで直通する列車が運行された.さらに1996[平成8]年4月27日には東葉高速鉄道線[西船橋–東葉勝田台間]が開業し, 東西線は西船橋を介して東葉勝田台までの広域ネットワークを形成するに至った.地下鉄が都市内交通にとどまらず広域通勤輸送を担う存在へと変化していく過程を示す先進的な事例として, この直通運転体系は鉄道史上重要な意義を持つ.また全線開通と同時に東陽町–西船橋間ノンストップの快速列車の運転も開始されたが, これは営団として初めての優等列車運転であった.
車両は時代とともに更新され, 開業時の5000系に始まり, 05系・07系を経て, 現在では15000系が主力車両として運用されている.またJR東日本のE231系800番台, 東葉高速鉄道の2000系も直通運転により東西線内を走行する.運行面では比較的早い時期から自動化技術の導入が検討されたが, ATO[自動列車運転装置]の本格導入は他路線と比較して遅れ, 2010年代以降に段階的な整備が進められた.
路線構造上の特色として, 全線の約3分の1にあたる西船橋寄りの区間が地上・高架構造であることが挙げられる.建設当時の千葉県内が広大な農地・田園地帯であったため高架構造が採用されたが, その後の急激な宅地化により沿線人口が激増し, この地上区間が大量の通勤客を都心へ運ぶ基幹的役割を担うようになった.地上区間では南砂町–西葛西間などで荒川・旧江戸川を橋梁で渡る区間があり, 車窓が大きく開ける一方, 強風による速度規制や運転見合わせが発生しやすく輸送障害の要因ともなっている.
東西線は開業当初こそ「ガラ空き」と評されたが, 1970年代以降に高度経済成長期の首都圏人口集中, 千葉県西部の大規模住宅開発, 都心部のオフィス集積が重なって通勤時間帯の混雑が急速に悪化した.国土交通省の調査によれば最混雑区間である木場–門前仲町間はピーク時混雑率が長年にわたり180%を超え, 2010年代には200%に迫る水準に達して日本一混雑する路線として知られた.新型コロナウイルス感染拡大以降はテレワーク・時差通勤の普及により緩和傾向にあるが, 依然として高い混雑率を維持している.
この混雑の構造的要因に対する最大の対策事業が南砂町駅の大規模改良工事である.同駅は1969年の開業以来, 島式1面2線という最小限の構造のままであった.そもそも南砂町駅は, 開業当時周辺に建設用地がなかったため, 駅の大部分を洲崎川という運河の河底にケーソン工法で沈設するという特殊な工法で建設された経緯を持つ.朝ラッシュ時には先行列車が停車中に後続列車が西葛西駅を発車してしまうほどの過密ダイヤが常態化し, 乗降時間の延長が即座に後続列車の渋滞を引き起こすという構造的問題を抱えていた.この解消策として2011年3月に島式2面3線化計画が発表され, 2013年9月に工事が着手された.同一方向の列車がホーム両側の線路を交互に使用する方式を導入することで遅延の波及を抑制することが目的であるが, 洲崎川の旧河底を掘り返したところ埋め立て時に投棄された大量の廃材が想定を大幅に上回る量で発見されたうえ, 江東区特有の超軟弱地盤により既設トンネルの沈下・隆起を防ぐ地盤改良も難航し, 当初の完成予定はたびたび後退して2025年時点では2028年度以降とされている.2024年5月には第1回目の線路切替工事が実施され, 中野方面ホームの暫定使用が開始されたが, 残る切替工事を経て最終完成に至るまでにはなお相当の期間を要する見通しである.本改良事業を核とする東西線混雑緩和対策の総投資額は1,200億円にのぼる.
2004[平成16]年4月1日, 帝都高速度交通営団の民営化により東西線は東京地下鉄株式会社[東京メトロ]の路線となった.現在も沿線には大手町・日本橋・早稲田など多様な都市機能が集積しており, 首都圏東西方向の大動脈として東京の都市機能を支え続けている.



@2023-01-03.





















今日も街角をぶらりと散策.
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