ぶらぶら絵葉書

飯田橋駅

飯田橋駅は, 東京都千代田区飯田橋四丁目および新宿区揚場町に跨って所在する鉄道駅であり, JR東日本と東京メトロ, 東京都交通局の複数路線が乗り入れる主要な乗換駅である.駅構内を千代田区と新宿区の区境が通過し, 神田川および外堀に挟まれた低地に位置する.駅周辺は飯田橋交差点を中心に, 千代田区・新宿区・文京区の三区が接する地点であり, 古くから交通の要衝として発展してきた.

「飯田橋」という地名は, 江戸時代に神田川に架けられた橋の名に由来する.この橋は江戸城外堀を横断する主要な橋であり, 付近に飯田氏の屋敷が存在したことからその名がつけられたと伝えられている.以後, 「飯田橋」は地域名として定着し, 明治期以降も東京中心部を代表する地名の一つとなった.江戸時代には周辺一帯が武家屋敷地であったが, 明治維新後に外堀沿いの市街化が進み, 商業・業務地区へと変貌した.

飯田橋駅の起源は, 1928[昭和3]年11月15日に開業した東京地下鉄道[現・東京メトロ銀座線]の飯田町駅[後の万世橋方面の計画線上に位置]に端を発するが, 実際に現在の飯田橋駅としての歴史が始まるのは, 同1928[昭和3]年12月15日に開業した国鉄中央本線の飯田町駅に隣接して設けられた飯田橋仮乗降場である.この仮乗降場が後に正式な「飯田橋駅」となり, 中央・総武線各駅停車が停車するようになった.当初, 駅は現在よりもやや西側, 外堀通りに近い位置に設置されていた.

その後, 1974[昭和49]年10月1日に中央・総武線の複々線化および線路高架化に伴い, 現在地に移転・改築された.このとき駅名は正式に「飯田橋駅」とされ, 同時に旧来の飯田町駅[貨物駅]は役割を終えて廃止された.これにより, 現在の中央・総武線の中間駅としての体制が確立された.

一方で, 地下鉄の整備も並行して進められた.東京メトロ東西線の飯田橋駅は1964[昭和39]年12月23日に開業し, 続いて有楽町線が1974[昭和49]年10月30日に, 南北線が1996[平成8]年3月26日にそれぞれ開業した.さらに, 都営大江戸線の飯田橋駅は2000[平成12]年12月12日に開業し, 現在ではJR線・東京メトロ3路線・都営地下鉄1路線の計5路線が集まる交通結節点となっている.

JR東日本の飯田橋駅は高架構造であり, 島式ホーム2面4線を有する.中央・総武線各駅停車が停車し, 中央線快速は通過する.ホームは東西方向に延び, 神田川に沿って配置されている.改札口は東口・西口・東西自由通路側の3箇所に設けられ, 2014[平成26]年のバリアフリー化工事によりエレベーターやエスカレーターが整備された.駅舎は2019[令和元]年に全面的にリニューアルされ, ホームドアの設置も完了している.

東京メトロ東西線の飯田橋駅は地下駅であり, 島式ホーム1面2線を持つ.構造は比較的深く, 中央線高架下付近に位置している.改札口はA・B・Cの三系統に分かれ, 周辺の街区に多数の出入口を設けることで利用者の分散を図っている.東西線ホームは他の地下鉄路線と離れており, 特に大江戸線との乗り換えでは上下移動距離が大きい.有楽町線および南北線のホームはさらに深部に位置し, 両者は島式ホームを上下二層に分けて配置している.都営大江戸線のホームは最も深く, ホームまでの高低差は約30メートルに達する.

飯田橋駅周辺は, 商業・業務・教育の三機能が高密度に共存する地域である.北側には神楽坂の坂道沿いに飲食店や老舗商店が連なり, 江戸情緒を残す街並みが観光客にも人気である.一方, 南側には外堀通り沿いにオフィスビルが立ち並び, 金融・出版・教育関連の企業が多く所在する.東京大神宮が至近にあり, 縁結びの神として知られる.周辺には法政大学, 日本歯科大学, 東京理科大学などの教育機関も集中し, 学生の利用も多い.

飯田橋駅の一日平均乗降客数はJR東日本・東京メトロ・都営地下鉄を合わせて20万人を超え, 東京都心部でも有数の利用規模を誇る.特に東西線は東京メトロ全線の中でも混雑率が高く, 通勤・通学時間帯にはホームや乗換通路が大変混雑する.駅全体としては, 都心東西方向と南北方向を結ぶ交通の要衝であり, 神楽坂・九段下・水道橋・市ヶ谷といった周辺地域を相互に結ぶ重要な拠点として機能している.

飯田橋駅は, 東京の鉄道史・都市史の両面において意義深い存在である.江戸時代の地名を継承しつつ, 近代以降に整備された多層的交通結節点として, 今なお都心交通網の中核を成している.

@2023-12


今日も街角をぶらりと散策.
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