

川越城本丸御殿
川越城は長禄元[1457]年, 扇谷上杉持朝が古河公方足利成氏に対抗するため, 家臣の太田道真, 道灌父子に命じて築城したものである.江戸幕府成立後は関東の要地を押さえる城として重視され, 譜代大名が城主として歴任した.特に寛永16[1639]年に入封した松平信綱[「知恵伊豆」と称された幕府老中]は, 川越城を大規模に拡張・整備し, 台地上先端に本丸・天神郭・北に二の丸・西に八幡郭・三の丸他の曲輪・本丸西南隅に三層の富士見櫓と称する櫓を含む三つの櫓と十二の門よりなる, 総坪数は堀と土塁を除いて四万六千坪にも及ぶ大城郭としての体制を整えた.
本丸御殿は嘉永元[1848]年, 当時の川越藩主・松平斉典が居館として建築したものである.建設当初は16棟からなり, 現在よりもはるかに大規模なものであった.しかし明治維新以降, 廃城令などにより城郭の多くが破却され, 本丸御殿も大部分が失われた.現存しているのは玄関, 大広間, 家老詰所の一部のみである.
現存部分は, 木造平屋建, 寄棟造, 桟瓦葺きの建築様式で, 内部には畳敷きの大広間があり, 藩主が儀礼や政務を行った空間の姿を今に伝えている.大広間は36畳の主室を中心とし, これに次の間, 控えの間が連続する格式高い構成となっている.質実で簡素ながらも格式を備えた意匠は, 幕末期の譜代大名居館としての性格を色濃く示している.
家老詰所については, 市内光西寺所有の「川越城本丸御殿平面図」によると, 現在地より約90メートル西側に建てられていたものが移築されたことがわかる.建坪は54坪の木造平屋で寄棟造り, 桟瓦葺の屋根を持ち, 外観は質素である.室内は, 正面に床の間・床脇を備えた10畳を奥とし, 8畳・8畳の3室を中心に構成されている.これは藩政の中心を担った重臣が詰める場であり, 政治的機能を物語る貴重な遺構である.
川越城本丸御殿は, 1967[昭和42]年に川越市指定有形文化財[建造物]に指定され, 同年には大規模な修理工事が実施されて屋根の修理や間取りの復元が行われ, 現在のような公開施設となった.この修理工事により, 建造当初の姿により近い状態での保存が実現されている.
現在は一般公開されており, 川越市立博物館, 川越市立美術館とともに「川越城跡エリア」を形成している.これにより, 川越城の歴史と城下町の文化を学ぶ拠点として活用され, 観光資源としても大きな役割を果たしている.また, 川越城は2006[平成18]年に「日本100名城」の一つに選定されており, その中核的な遺構として本丸御殿の価値はさらに高まっている.
このように川越城本丸御殿は, 戦国期に創建された川越城の歴史を今に伝えるとともに, 江戸時代後期における譜代大名居館の姿を伝える希少な建築遺構である.その存在は, 川越が「小江戸」と称される歴史的背景を理解する上で欠かせない要素となっており, 日本の城郭建築史における貴重な文化遺産として, 後世に継承すべき重要な価値を持っている.
川越@2015-01

今日も街角をぶらりと散策.
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