時の鐘
創建は江戸時代初期で, 寛永年間[1624-1644]に川越城主・酒井忠勝が建てたものが最初とされる.その後, 度重なる火災で焼失と再建を繰り返し, 現在の鐘楼は4代目に当たり, 1893[明治26]年の川越大火の翌年に再建されたものである.この川越大火では町の3分の1以上が焼失したが, 暮らしに欠かせない「時」を告げるため, 川越の商人達の尽力によって, 他の建物に先駆けて再建されたと伝えられている.
建造物の構造的特徴として, 木造三層の塔は伝統的な日本建築の技法を用いながらも, 大火の経験を踏まえた防火対策が施されている.塔の下部は通り抜け可能な高塀門形式であり, その奥に薬師神社の境内がある.薬師神社は, もとは瑞光山醫王院常蓮寺の薬師堂であったが, 明治維新の神仏分離令により神社へと改められた.御本尊は薬師如来立像で, 行基作と伝わり, 病気平癒, 特に眼病に霊験があるとされている.川越大火の際には薬師如来像のみが運び出され, 他の仏像等は焼失したため, 現在の社殿は明治27年に時の鐘とともに再建された.
鐘は一日に四度, 午前6時・正午・午後3時・午後6時に鳴らされ, まちに時を知らせる役割を担っている.古くは鐘撞き守によって鳴らされていたが, 現在は機械式である.この鐘の音は1996[平成8]年に環境省[当時環境庁]による「残したい“日本の音風景100選”」に選定され, 地域の歴史的景観と一体となって文化的価値を形成している.
建物の維持管理についても継続的な配慮がなされており, 2017[平成29]年には大規模な耐震補強工事が実施された.この工事により, 歴史的建造物としての価値を保持しつつ, 現代的な安全基準にも適合する構造的安定性が確保されている.
時の鐘が立地する蔵造りの街並みは, 川越の歴史的都市景観の中核をなすものであり, 江戸時代から明治時代にかけての町家建築群とともに一体的な景観を形成している.高さ16メートルの鐘楼は周囲の蔵造り建築群の中でひときわ存在感を示し, 遠方からも視認できるランドマークとしての機能を果たしている.
このように時の鐘は, 創建以来およそ四百年にわたり川越の都市景観と市民生活に密接に関わってきた歴史的建造物である.現在も指定文化財として保存されながら, 定時の鐘の音によってその機能と伝統を継承している.薬師神社との一体的な構成により, 宗教的空間と都市機能が融合した独特の建築複合体として, 川越の文化的アイデンティティを象徴する存在となっている.
川越@2015-01
今日も街角をぶらりと散策.
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