ぶらぶら絵葉書

一二郎池

一二郎池は東京大学駒場キャンパス東部に位置する細長い池であり,学内では通称「一二郎池」と呼ばれる.正式名称は駒場池である.2008年12月に学内公募により,正式名称を「駒場池」,愛称を「一二郎池」とすることが決定され,現在では両呼称が併用されている.駒場Ⅰキャンパスの東端にある谷戸をせき止めて造成された池である.

この池は湧水と谷戸の地形を利用した人工池である.三方を斜面に囲まれた典型的な谷戸地形の谷底に,細長い池が横たわっている.池は周囲より低く凹んだ谷底にあり,台地上に降った雨水や谷頭部の湧水によって水位が保たれてきた.谷頭部では台地からの浸透水が湧出し,湿地的な環境を形成していたとされる.

明治期には,駒場野の一部に農学教育施設が設置され,1878[明治11]年に開設された駒場農学校,1886[明治19]年に東京農林学校,1890[明治23]年に帝国大学農科大学,1897[明治30]年に東京帝国大学農科大学と改称され,さらに大正期には東京帝国大学農学部として整備された.この農学教育機関の時代には,池は実習用の農場や水産関係の実験施設として利用されていた可能性が高い.池の一部は養魚池としても活用されていた.

1935年には,東京帝国大学農学部駒場校舎と第一高等学校[本郷キャンパス隣接]の間で敷地交換が行われ,以後この地域は第一高等学校の敷地となった.戦後の学制改革により,第一高等学校の跡地は東京大学駒場キャンパスとして再編され,現在に至る.

地質・地形的には,武蔵野台地の東南部に位置する谷戸地形であり,表土の下に関東ローム層,その下に東京層等が分布する.谷戸は台地面を開析する小河川の浸食作用により形成された谷地形であり,谷頭部では地下水の湧出がしばしば見られる.一二郎池はこうした地形的特徴を活かして造成され,台地斜面からの浸透水や降雨時の表面流出水を集めて水源としている.都市化や環境変化によって湧水量は減少したとされるが,現在でも小規模ながら湧水が確認される.

なお,本郷の「三四郎池」に倣う形で学生の間に「一二郎[浪]池」という愛称と関連するジンクスが伝わっている.駒場キャンパスは主に学部1・2年生が通うため,池は学生に親しまれており,「入学前に一人で見ると浪人する」「在学中に一人で見ると留年する」といった言い伝えがある.池周辺はかつて立入制限区域であったため存在を知る学生は限られていたが,近年は遊歩道整備や保全活動が行われ,学生サークルや地域団体による自然保全・調査活動も展開されている.池とその周辺の林には多くの野生生物が生息し,都心における貴重な自然空間となっている.

@2024-07


今日も街角をぶらりと散策.
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