森厳寺
森巌寺は,東京都世田谷区代沢に位置する浄土宗の寺院であり,下北沢の住宅地に静かに佇む由緒ある古刹である.1608年[慶長13年],徳川家康の次男である結城秀康の位牌所として建立された寺院で,本尊は阿弥陀如来像である.正式には八幡山浄光院森巌寺と号し,浄土宗京都知恩院の末寺として,四百年以上の歴史を有する.
建立の由来は,結城秀康が慶長12年[1607年]4月8日に越前北ノ庄で没する際,「当国[江戸]に寺を建立せよ」との遺言を残したことに始まるとされる.これを受けて,開山の清誉存廓和尚は,秀康の菩提を弔うため,江戸に寺を建立し,その法号「浄光院殿黄門森巌道慰運正居士」にちなみ,「浄光院森巌寺」と命名された.秀康が徳川家の直系であることを示す三つ葉葵の紋が,現在も寺の境内や位牌所などに見られ,寺の格式を今に伝えている.
森巌寺を広く知らしめたのは,「お灸の寺」としての信仰の側面である.江戸時代には「淡島の灸」として関東一円に名を馳せ,婦人病や諸病に霊験ありとされた.境内に祀られた淡島明神は,紀州加太神社の分霊とされ,特に女性の守護神として信仰を集め,灸治と結びついた信仰形態を築いた.これにより,北沢の地名にかかわらず,当寺を中心とする一帯は俗に「淡島」と呼ばれるほどの知名度を得た.お灸とともに,針供養の儀式も古くから行われており,毎年2月8日の「森巌寺の針供養」は,裁縫技術の向上と道具への感謝を表す風習として,今日に至るまで継承されている.この行事は,世田谷区の無形民俗文化財[風俗慣習]に指定されており,地域の精神文化を象徴する年中行事となっている.
また,森巌寺は富士講の拠点としても知られていた.境内にはかつて富士塚が築かれており,江戸時代における庶民信仰の一環として登拝儀礼が行われていた.2006年[平成18年]には,この富士塚の発掘調査が実施され,当時の信仰形態を示す遺構が確認された.さらに,境内には世田谷区の保存樹木に指定されている大銀杏がそびえ立ち,樹齢は400〜600年,幹回りは約6.25メートル,樹高は20メートルに及ぶ.これは寺の長い歴史と自然の共生を象徴する存在である.
現代においても,森巌寺は地域社会とのつながりを大切にしている.昭和27年[1952年]には,境内に淡島幼稚園を開設し,以来,長年にわたり地域の幼児教育の拠点として機能してきた.その功績は高く評価されており,1984年[昭和59年]には「淡島の灸の森巌寺」として「せたがや百景」に選定された.寺の境内とその周辺は,都市の中にあって歴史と信仰,自然と文化が共存する稀有な空間として,今なお地域住民と訪問者の心を静かに惹きつけている.
@2024-05
今日も街角をぶらりと散策.
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