ぶらぶら絵葉書

弘法湯碑

渋谷の神泉に所在する弘法湯碑は,東京都心の喧騒の中にあって,かつてこの地に存在した湯治場の記憶を今に伝える歴史的遺構である.「神泉」という地名そのものが,この湧水に由来しており,弘法大師空海が巡錫の折,この地で錫杖を突いたところ霊泉が湧き出したとの伝説が伝わっている.この湧水は「弘法の霊泉」あるいは「弘法湯」と呼ばれ,江戸時代には近隣住民のみならず遠方からも湯治客が訪れる名所として知られていた.

弘法湯は,現在の神泉町一帯,かつて神泉谷と呼ばれた低湿地帯に湧き出ていた清水を源泉としていた.江戸期の地誌『新編武蔵風土記稿』や『江戸名所図会』にも「神泉湯」として記載されており,当時から霊験あらたかな湯として庶民に親しまれていた.泉質についての詳細な記録は残されていないものの,一般には皮膚病,神経痛,婦人病などに効能があると信じられ,多くの人々が癒しを求めて訪れた.湯屋や茶屋が周囲に立ち並び,湯治場としてばかりでなく,行楽地としてもにぎわいを見せていた.

1885[明治18]年に佐藤豊蔵氏が共同浴場の経営権を得て弘法湯として料理旅館・神泉館を併設.弘法湯は周辺の料亭や芸者置屋とともに渋谷・円山町の花街を形成する中核となった.しかし,家庭風呂の普及や都市開発によって集客が減少し,銭湯としての営業継続が困難となったことにより,1979[昭和54]年に正式に廃業.こうして弘法湯の湯元も失われたが,その存在を後世に伝えるものとして,現在も弘法湯碑が神泉町の一角に静かに建てられている.この弘法湯碑は,「弘法大師 右 神泉湯道」と刻まれており,1886[明治19]年に弘法湯のあった場所に建立された道標.石碑には「弘法湯」の文字が刻まれ,脇には弘法大師の霊泉伝承や,かつての湯治場としての歴史を説明する案内板が設けられており,地域史を学ぶ上での重要な手がかりとなっている.

弘法湯碑は,東京という都市の近代化の過程で失われていった自然環境と信仰文化の接点を今に伝える貴重な歴史遺産であると同時に,かつてこの地に根ざしていた庶民の暮らしと信仰心を象徴する文化財でもある.今日,神泉という地名にかつての霊泉の記憶が刻まれ,弘法湯碑はそれを静かに物語っている.

@2024-07


今日も街角をぶらりと散策.
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