辰巳用水石管
赤レンガミュージアムに展示されている辰巳用水の石管は,江戸時代初期に加賀藩によって築かれた辰巳用水の実物遺構であり,近世初頭の土木技術と都市計画の粋を伝える貴重な資料である.辰巳用水は,金沢城の防火・防衛,ならびに城下町の農業灌漑や生活用水を目的として,寛永8年[1631年]に加賀藩三代藩主・前田利常の命により着工され,寛永11年[1634年]に完成した用水路である.その設計と施工には,加賀藩の土木技術者である板屋兵四郎[または伊織]らが関与し,延長約10kmに及ぶ水路を山間部から金沢城下へと導水するという,当時としては画期的な事業であった.
辰巳用水の最大の技術的特徴は,隧道・暗渠・明渠といった多様な水路構造を用いた点にあり,中でも鞍月用水との交差部で採用されたサイフォン式の地下導水構造,すなわち石管を用いた逆サイフォン方式は,加賀藩の高度な水利技術を示すものとして今日に至るまで評価が高い.赤レンガミュージアムに展示されている石管は,そのような辰巳用水の水道網の一部を構成していた実物の石製導水管であり,発掘調査により現地から出土した後,保存・展示されることとなった.
この石管は,花崗岩を用いて円筒状にくり抜かれたものであり,複数の石管を繋ぎ合わせて一連の導水路を構成していた.石材の加工精度と継ぎ手の工夫は,当時の土木・建築技術の高さを物語っており,特に漏水を防ぐために継手部に施された工夫は注目に値する.また,石管の導入によって水の圧力や流量を安定的に制御することが可能となり,城下の安定的な水供給に大きく貢献した.
辰巳用水は,単なる水利施設ではなく,加賀百万石の政治的・軍事的中枢である金沢城の維持運営と都市の機能を支える基盤インフラであった.その機能は江戸時代を通じて維持され,明治以降も一部区間では灌漑用水として活用され続けた.石管の存在は,加賀藩が単なる武断政治にとどまらず,実用性と計画性に基づいた都市インフラ整備を重視していたことを明らかにする.
赤レンガミュージアムは,かつての旧金沢陸軍兵器支廠の建物を再活用した文化施設であり,そこに展示される辰巳用水石管は,地域の土木技術史と都市形成史を今に伝える貴重な証人である.石管の展示は,近世における水利工学の発展や都市インフラの形成過程を視覚的に理解するための教材ともなっており,加賀藩の高度な技術力と都市政策の先進性を後世に伝える文化遺産である.
@2025-04
今日も街角をぶらりと散策.
index