ぶらぶら絵葉書

辰巳用水分流

赤レンガミュージアム内を流れる辰巳用水の分流は,加賀藩による江戸時代初期の都市水利事業である辰巳用水の一画を成しており,その延長は約16.5キロメートルに及ぶとされる.赤れんがミュージアムに引き込まれた分流は,かつて本多の森周辺や兼六園へ水を供給していた本流から分かれたものであり,旧金沢陸軍兵器支廠[現ミュージアム]敷地の中をそぞろ歩くように流れている.

辰巳用水の起源は,寛永8年[1631年]の法船寺大火によって金沢城下の水利改善が急務となったことに端を発し,寛永11年[1634年]に水路が完成したことにある.本流には山間から城下へと導く鞍月用水や伏越などの高度な工法が採用されたが,分流はその網の目のような構造の一部であり,本多の森や兼六園など,藩政期の景観・生活空間に水を巡らせる役割を果たした.

赤れんがミュージアムでは,その分流が施設内で「水の演出」として保存されている.かつて辰巳用水の本流を導いた石管は噴水として蘇り,定期的に放水されることで往時の水利構造をリアルに体感できる展示となっている.透明な流れは庭園とも調和し,水音が訪問者に安息を与える都市の小川として機能している.

さらに,この分流は都市再開発や暗渠化の歴史とも深く関係している.1996年に金沢市が用水保全条例を制定し,道路拡張のために暗渠化されていた辰巳用水や鞍月用水を順次開渠化し始めたことにより,本多の森から駅前通りに至る市中のあちこちに水が復活した.赤れんがミュージアムの分流もその一環であり,都市空間に「水の潤い」を取り戻す都市政策のモデルの一つとなっている.

歴史的には,辰巳用水の分流は農業用水,生活用水,そして城下の防火用水として多用途に活用され,明治期以降も水車の動力源や家庭の用水として使われ続けた.その構造技術にはサイフォン方式や伏越構造といった当時の先進技術が取り入れられており,分流においても同様の精巧さがうかがえる.

今日,赤れんがミュージアムに残された辰巳用水の分流は,金沢の歴史的都市構造や土木技術,景観文化を一体として伝える拠点である.水路そのものが「都市の記憶」を醸成しており,石管や放水といった展示を通じて,加賀藩の高度な都市設計と,地域社会の日常とがいかに密接に結びついていたかを物理的に体感できる貴重な文化遺産である.

@2025-04


今日も街角をぶらりと散策.
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