岩窟の聖母

盛期ルネサンス(High Renaissance)のイタリアの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ[Leonardo da Vinci:1452-04-15/1519-05-02]による作品。パリのルーヴル美術館に所蔵されているバージョン(ルーヴル版、1483年〜1480年代半ば)。

1483年、ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂に付属する無原罪の御宿り信心会の礼拝堂を飾る祭壇画として制作が依頼された作品。契約の相手はレオナルドのみならず、工房の弟子であったアンブロージョ・デ・プレディスとエヴァンジェリスタ・デ・プレディス兄弟も含まれており、中央パネルの聖母子像をレオナルドが担当し、両脇のパネルに音楽天使を描く役をプレディス兄弟が分担するという共同制作の形をとっていた。契約書には図像の主題や配色に至るまで細かな指定が記されており、聖母マリアと幼児キリスト、洗礼者ヨハネ、そして天使たちを中心とする構成が求められていたことが知られている。板に油彩で描かれた本作は、19世紀にカンヴァスへと移し替えられており、現在の寸法は縦199センチメートル、横122センチメートルほどである。

画面には、荒々しい岩窟を背景として、中央にひざまずく聖母マリアが配され、その右腕は幼い洗礼者ヨハネの肩に回されている。ヨハネは合掌して対面のキリストを拝み、キリストは片手を挙げてヨハネを祝福する仕草を見せている。画面向かって左に位置する天使は、その視線と指先によって鑑賞者の注意をヨハネへと導く役割を担っており、四人の人物が緊密な三角形の構図の中に収められている点が特徴的である。人物たちの背後には鍾乳石を思わせる岩が垂れ下がり、奥へと続く洞窟の暗がりの彼方には、淡く霞んだ水辺と山並みが見え隠れする。この奥行きの表現には、輪郭を明確な線で区切らず、色と色のあいだに微妙な諧調を重ねてぼかしていくスフマートの技法が駆使されており、レオナルドが同時代に取り組んでいた大気遠近法の探求とも呼応するものである。

図像に関しては、ヨハネと幼児キリストの位置が通常の聖母子像の慣例とは逆転している点、また天使の指差しの仕草の意味など、神学的にも美術史的にも議論の的となってきた要素が多い。加えて、本作にはロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵するほぼ同一構図の第二作が存在し、両者の先後関係や制作年代は長年にわたり研究者のあいだで見解が分かれている。多くの美術史家はルーヴル版のほうが先に、依頼のあった1483年から1480年代半ばにかけて制作されたと考えており、ロンドン版はその後、レオナルドの監督のもとでアンブロージョ・デ・プレディスが手を加えつつ、1490年代から1508年ごろにかけて完成させたとする説が有力である。この二作品が生まれた背景には、信心会側との報酬をめぐる争いがあったとされ、レオナルドが当初のルーヴル版を密かに別の買い手に譲り渡し、その代わりとして改めてロンドン版を描いて納入したという推測もなされている。

ルーヴル版に関する確実な記録としては、1625年の時点でフランス王室のコレクションに収められていたことが知られており、フランス王ルイ12世の時代、1500年から1503年ごろにフランスへ渡ったとする見方が広く受け入れられている。以後は王室コレクションを経て、フランス革命後にルーヴル美術館の所蔵品となり、現在に至るまで同館の代表的なイタリア・ルネサンス絵画のひとつとして展示され続けている。

参照:西洋美術史


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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