王女の交換

バロック[baroque]期のフランドルの画家であるピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens;1577-1640)による1622年から1625年頃の作品。大作『マリー・ド・メディシス生涯の物語』の全24点のうちの一枚。

この連作は、アンリ4世の未亡人であり息子ルイ13世の摂政を務めたマリー・ド・メディシスが、1621年秋にルーベンスへ発注し、パリのリュクサンブール宮殿を飾るために制作されたものであり、王妃自身の生涯における苦難と栄光を寓意的に描き出す全体構想のなかに位置づけられる。

本作が主題とするのは、1615年11月9日、フランスとスペインの国境を流れるアンダイエ(Hendaye)付近のビダソア川(Bidassoa)に架けられた舟橋の上で行われた、両国王女の交換という史実である。この儀礼は、フランス王ルイ13世とスペイン王女アンヌ・ドートリッシュとの婚姻、そしてスペイン王太子フェリペ(後のフェリペ4世)とフランス王女エリザベート(イザベル)との婚姻という、二重の政略結婚を成立させるために行われたものであり、ブルボン家とハプスブルク家との同盟関係を象徴する出来事であった。当時なお少女であった二人の王女が、生国と嫁ぎ先の中間地点で正式に引き渡される、この特異な外交儀礼そのものが画題として選ばれている点に、本連作の政治的性格がよく表れている。

ルーベンスに与えられた注文書には、この場面の構成についてかなり具体的な指示が記されていたことが知られている。すなわち、フランスは花咲く紋章(フルール・ド・リス)をあしらった青い衣をまとった美しい女性像によって表され、彼女がフランス王妃となる王女を自らのもとへ引き寄せる一方で、もう一人の王女をスペイン側へ差し出す。スペイン側は当初、ムーア人の姿によって表現される予定であったという。しかし実際の画面でルーベンスが選んだ解釈はこれとは異なり、スペインを表す人物として、フランスの擬人像と対をなすように、兜をかぶった女性像を配し、赤と金を基調とした華やかな衣をまとわせている。左右に対峙する二つの国家擬人像が、それぞれの手に王女を伴いながら向き合い、橋の中央で交換の儀式を執り行うという構図は、政略結婚という冷徹な国際政治の実態を、古典的な女神像の均衡と優美さによって覆い隠し、祝祭的な調和の場面へと昇華させている。

画面上方には、豊穣の角から花と果実を降り注ぐ「至福」ないし「黄金時代の幸福」を擬人化した人物が配され、その周囲を無数のプットー(愛の神アモルたち)が輪舞のように取り巻き、至福の女神自身もその円舞の中に組み込まれている。愛の神々の乱舞の下には黄金の雨が降り注ぎ、さらに画面上端には虹が架かる。虹は苦難の後の和解と平和の到来を示す伝統的な図像であり、黄金の雨や豊穣の角とあいまって、この政略結婚が両国にもたらすはずの繁栄と幸福を寓意的に予告する役割を担っている。地上の外交的取引という散文的な出来事を、天上的な神話的祝福によって荘厳するという手法は、この連作全体を貫くルーベンスの基本的な戦略であり、本作もその典型例をなす。

様式面では、豊満な女性像の量感、絹や金襴を思わせる衣装の質感表現、そして画面全体を旋回するように配された人物群の動勢など、盛期バロックを代表するルーベンスならではの特質が随所に認められる。静的であるはずの外交儀礼の場面に、天上の群舞という劇的な運動を重ね合わせることで、画面全体に躍動感と祝祭性を与えている点は特筆に値する。なお本作を含む『マリー・ド・メディシス生涯の物語』連作は、ワニスの経年による黄変や、過去の修復による加筆の視覚的な不調和が指摘されており、ルーヴル美術館において大規模な修復事業の対象ともなっている。政治的同盟の理想化という主題と、それを支える豊麗な神話的装飾とが渾然一体となった本作は、宮廷絵画がいかにして権力の物語を美へと転換しうるかを示す、バロック絵画屈指の実例といえる。

参照:西洋美術史


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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