

アルバニアを代表する古代の港湾都市遺跡であるドゥラス(Durrës)からの出土品。
この胸像は紀元前3世紀のヘレニズム期に作られたものであり、ドゥラスの丘にあるアフロディーテの聖域と呼ばれる遺跡から、女神へ捧げられた数千点以上の膨大な小像とともに発掘された。髪を中央で分けて後ろで結い上げ、なだらかな肩のラインを形成している姿は当時のヘレニズム様式の特徴を色濃くとどめており、地元の職人による極めて高い技術力と独自の芸術性を今に伝えている。古代のバルカン半島に栄えたイリュリア地方における、豊かなギリシャ・イルリア文化の交流と繁栄の歴史を象徴する重要な考古学的遺物。
古代のバルカン半島西部に位置したイリュリア地方は、先住のイリュリア人が独自の部族社会を形成していた地域であり、現在のクロアチア沿岸部からアルバニアに及ぶアドリア海東岸一帯を指している。この地は紀元前七世紀頃から、海上交易の拠点を求めて西方へ進出してきた古代ギリシャ人(主にコリントスおよびコルキュラの植民者)による植民活動の舞台となり、沿岸部にエピダムノス(現在のドゥラス)やアポロニアといった重要な都市国家が次々と建設された。当初は先住民であるイリュリア人とギリシャ人入植者との間で武力衝突を伴う緊張関係が存在したものの、港湾都市を介した活発な商業交易の進展にともない、次第に平和的な共存と文化的な相互影響が深まっていった。もっとも、この融和は一様に進んだわけではなく、後の紀元前3世紀にはイリュリア人による海賊行為が地中海交易を脅かし、これがローマとの間の一連のイリュリア戦争を引き起こす一因ともなっている。
この過程で誕生したのが、双方の文化的要素が不分明に融合したギリシャ・イリュリア文化である。イリュリア人の有力者たちはギリシャの洗練された生活様式や言語表記、そして貨幣制度を積極的に取り入れて自らの権威を高め、独自の都市構造や墳墓の造営にその影響を反映させていった(後代のイリュリア系諸王が発行した貨幣にギリシャ風の意匠や銘文が見られるのはその一例である)。宗教面においても融合は顕著であり、イリュリア地方の豊かな自然や多産を司る土着の信仰が、ギリシャ神話の美と愛の女神アフロディーテの信仰と結びつくことで、地域特有の宗教文化へと昇華した。
ドゥラス近郊のダウテの丘から出土した大量のテラコッタ製の女性像は、ギリシャ的な洗練された造形美(タナグラ様式などに連なる型式)をベースにしながらも、現地の工房によって量産されたという背景を持ち、この二つの文化の融合を物語る象徴的な遺物として知られている。ただし、これらの像の多くが伝統的に「アフロディーテ像」と呼ばれてきた一方で、出土地である聖域そのものについては、近年のアルバニア・フランス合同調査団による再検討により、コロプラスティック(土偶研究)・碑文学・文献(アッピアヌスの記述)の各証拠から、実際にはアルテミスに捧げられた聖域であった可能性が高いことが指摘されている。つまり、像の図像的系譜はアフロディーテ的な女性表現に連なる一方、それを祀った聖域の主神については学術的な同定が近年見直されているという点は、押さえておくべき重要な留保である。
'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"
