ぶらぶら絵葉書

戒行寺坂

戒行寺坂は、東京都新宿区須賀町に所在する坂道で、日蓮宗の寺院である戒行寺の南側に沿って東へ下る坂である。現在も閑静な住宅地の中に往時の地形を残しており、四谷台地から低地へ向かって下る起伏は、この地域が武蔵野台地の複雑な地形の上に形成されたことを物語っている。坂の下の低地は古くから「戒行寺谷」と呼ばれ、周囲には谷地形が広がっていた。

この坂は「戒行寺坂」のほか、「油揚坂」の別名でも知られる。その由来は、かつて坂の途中にあった豆腐屋にあると伝えられている。この店では質の高い油揚げが作られており、その評判から人々が坂を油揚坂と呼ぶようになったという。江戸では名物や商家にちなむ坂名が数多く生まれたが、戒行寺坂も地域の暮らしに密着した逸話を今に伝える坂の一つである。

坂名の由来となった戒行寺は、妙典山と号する日蓮宗の寺院である。その起源は文禄4(1595)年、玉泉院日養上人が麹町一丁目(一説に八丁目)の御堀端に、常題目修行の小庵「戒行庵」を創建したことに始まる。その後、隣家に住んでいた大御番・宮重作兵衛重次(正保3〈1646〉年7月20日没)が檀那となって力を尽くし、一寺として建立するに至ったことから、宮重氏が開基とされている。山号「妙典山」は、この宮重作兵衛重次の法名「妙典院殿蓮經日珠居士」に由来するものである。

現在地である須賀町への移転時期については史料によって異なり、『再校江戸砂子』および『江戸名所図会』では明暦年間(1655~1658年)とされる一方、『御府内備考』では寛永11(1634)年と記されており、必ずしも一致していない。もっとも、江戸末期の地誌『東京案内』は明暦説を明確な誤りとし、『御府内備考』も「寛永11甲戌年、当所へ替地相成り」とする当時の記録を根拠に寛永11年説を裏付けている。また、江戸城外堀普請に伴い麹町・清水谷周辺の寺院群が四谷一帯へ一斉に移転し、須賀町・若葉一帯に四谷寺町・南寺町が形成されたのも同じ寛永11(1634)年であることから、戒行寺の移転もこの周辺寺院群の集団移転と時期を同じくするとみるのが現在では有力である。いずれにせよ、江戸前期には現在地へ移転し、身延山久遠寺末の頭五ヶ寺の一つとして塔頭数院を擁するまでに発展し、この地域を代表する寺院として定着していたことは確かである。

戒行寺には歴史上の人物にまつわる伝承も残されている。寺の僧であった日貞師は、甲斐の武将として知られる山本勘助晴幸入道道鬼斎の孫であったと伝えられており、この伝承は戒行寺の歴史に彩りを添えている。ただし、この系譜については確実な史料による裏付けはなく、寺に伝わる由緒の一つとして語り継がれている。また、近世には『鬼平犯科帳』のモデルとして知られる火付盗賊改・長谷川平蔵宣以の菩提寺でもあり、境内には現在も供養碑が残されている。

戒行寺坂は、寺院の歴史、江戸の町人文化、そして四谷台地の自然地形が重なり合って成立した歴史ある坂道である。坂名そのものは寺院に由来するが、「油揚坂」という親しみ深い別名や、坂下の戒行寺谷とともに、江戸時代から続く地域の暮らしや風景を今日に伝える貴重な歴史遺産となっている。

新宿区須賀町@2017-03-04.


今日も街角をぶらりと散策.
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