ぶらぶら絵葉書

東京メトロ丸ノ内線[M]

東京メトロ丸ノ内線は, 戦後東京における地下鉄網再建と都市機能回復の象徴として誕生した路線.戦災からの復興が急務であった1940年代後半, 都心部の深刻な輸送力不足を背景に, 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が主体となって建設が進められた.1954年1月20日, 池袋—御茶ノ水間が開業し, これが戦後初の新設地下鉄路線となった点に大きな意義がある.以後, 都心部を横断する幹線として段階的に延伸され, 1956年3月に御茶ノ水—淡路町間,7月に淡路町—大手町間,1959年3月に霞ケ関—新宿間が開通.ここに池袋—新宿間の16.6㎞が全通.

さらに,国鉄中央線の混雑が限界を超えていたために,混雑緩和を目的として営団地下鉄は荻窪線の建設を開始.1961年2月に新宿—新中野間, 11月に中野坂上—中野富士見町間, 新中野—南阿佐ケ谷間, 1962年1月に南阿佐ケ谷—荻窪間, 3月に中野富士見町—方南町間が開通.荻窪線とは呼ばれていたが当初より丸ノ内線一体的な運行がなされ,荻窪線分岐線とも言われていた.1972年には,荻窪線は名実ともに丸ノ内線に編入される.

丸ノ内線は, 標準軌(1,435mm)を採用し, 鋼製車輪・レール方式による運行を特徴とする.トンネル断面を小型化することで建設費を抑え, 狭隘な都心地下での施工を可能にした点は, 当時の技術的選択として重要である.また, 車両には赤色の帯が配され, 以後「赤い地下鉄」として広く認知されることとなった.

池袋から新宿, 四谷, 赤坂見附, 東京, 大手町を経て御茶ノ水へ至り, 再び池袋へ戻る環状に近い形態から, 丸ノ内線は官庁街, 業務地区, 商業地を貫き, 山手線内側の移動を補完する役割を担ってきた.特に新宿, 東京, 池袋という三大ターミナルを直結したことにより, 通勤・通学のみならず業務・商業活動の動線を大きく変化させた.1960年代以降の高度経済成長期には輸送需要が急増し, 編成両数の増強や運行本数の増発が行われ, 都市の膨張に対応していった.

1961年2月には中野坂上—方南町間が分岐線[通称:方南町支線支線]として開業し, 周辺住宅地の輸送を担っている.2000年代以降は2004年の東京メトロ発足に伴い, 車両の更新やホームドア設置, 信号システムの高度化が進められ, 安全性と定時性の向上が図られている.

丸ノ内線は, 戦後復興期に始まり, 高度成長, 成熟都市への移行という東京の歩みと軌を一にして発展してきた路線である.戦後初の新設地下鉄として果たした役割は大きく, 現在に至るまで東京の都市構造と日常の移動を支え続けている.

東京駅[M-15]


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銀座駅[M-16]


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淡路町駅[M-19]


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お茶の水駅[M-20]


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本郷三丁目駅[M-21]


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後楽園駅[M-22]


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茗荷谷駅[M-23]


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新大塚駅[M-24]


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池袋駅[M-25]


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今日も街角をぶらりと散策.
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