

東京メトロ半蔵門線[Z]
路線形状における最大の特徴は, 皇居の地下を通過できないという厳格な制約から生まれた, 永田町から九段下, 神保町を経て大手町へ至る大きな迂回ルート, いわゆる「Ω[オメガ]カーブ」である.地理的には遠回りとなるこの線形は, 最短距離を犠牲にしてでも皇居を回避するという選択の結果であるが, その副次的効果として, 九段下や神保町といった当時地下鉄網が手薄であった地域を結節し, 都心地下交通網を再編する重要な役割を果たした.建設工事においては, 三越前駅付近で総武快速線・横須賀線地下駅[新日本橋駅]の直下を, ほとんど余裕のない間隔で潜り抜ける工事が行われるなど, 当時の日本における最先端の都市土木技術が投入された.
1978年8月1日の渋谷-青山一丁目間開業は, 営団地下鉄が自社車両を一両も保有しないまま営業を開始したという点で, 日本の地下鉄史上きわめて特異な事例である.運行は全て東急電鉄の8500系車両に依存して開始されたが, これはオイルショック以降の急激な建設費高騰に加え, 車両基地整備の遅延などが重なり, 営団側の新型車両投入が開業時点に間に合わなかったためである.営団の自社車両8000系の投入は翌1979年を待つこととなった.この異例の船出は, 半蔵門線が置かれていた厳しい財政的・事業環境を如実に物語っている.
1990年11月28日の三越前延伸に続き, 1990年から2003年までの約13年間, 水天宮前駅が終着駅であった時代は, 本路線の性格を形づくった重要な過渡期であった.1990年11月28日に開業した水天宮前駅は当初から東京シティエアターミナル[T-CAT]と直結し, 成田・羽田両空港へのアクセス拠点として「空港へのゲートウェイ」という明確な役割を担った.一方, 隅田川直前という立地条件から, 駅の先に十分な折返し設備を設けることができず, 到着列車が速やかに同一ホームで折り返す, 極限まで詰められた運用が常態化した.この時代の水天宮前駅は, 都心東部への玄関口として機能すると同時に, 路線延伸への潜在的需要を象徴する存在でもあった.
2003年3月19日の押上延伸開業により, 半蔵門線は東武伊勢崎線[現・東武スカイツリーライン]との相互直通運転を開始し, 神奈川・東京・埼玉・栃木・群馬の一都四県を貫く, 全長約110キロメートル規模の広域ネットワークが完成した.東武線との直通運転は久喜駅まで[2006年以降は南栗橋駅まで拡大]行われ, 栃木県・群馬県方面への足としても機能している.これは, 戦前に見られた局所最適型の都市鉄道から, 戦後日本が志向した広域ネットワーク型交通体系への完全な移行を象徴する出来事である.営団地下鉄から東京メトロへの移行の年[2004年]に近い時期に結実したこの路線網は, 戦後地下鉄建設の一つの到達点であり, 現在に至るまで首都圏の都市機能を支える中核的インフラとして重要な地位を占め続けている.

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今日も街角をぶらりと散策.
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