

旧東京中央郵便局局舎
旧東京中央郵便局局舎は, 東京都千代田区丸の内二丁目, 東京駅丸の内駅舎南口前に存在した.1931[昭和6]年12月25日に竣工し, 1933[昭和8]年より業務を開始した.地上5階・地下1階, 延床面積は約36,479平方メートルという大規模な鉄骨鉄筋コンクリート造建築であった.設計は逓信省営繕課の技師・吉田鉄郎が担当し, 多機能な郵便・通信・貯金業務を担う中枢施設として構想された.合理性とモダニズムの思想が色濃く反映された近代建築である.
この局舎は, 1917[大正6]年に竣工した初代局舎が1922[大正11]年1月の火災で焼失したことを受けて再建されたものであった.再建計画の途中で関東大震災[1923年]が発生し, 設計が大幅に見直された結果, 耐震・耐火性能を重視した鉄骨鉄筋コンクリート造として1927[昭和2]年に着工, 約4年の工事期間を経て完成に至った.
局舎の計画は, 郵便物の大規模処理を効率的に行うため, 地上3階までを現業室に割り当て, 柱の少ない広い作業スペースを確保した構成であった.来庁者向けには天井高のある窓口ホールが設けられ, 郵便・貯金・為替業務にアクセスしやすい設計となっていた.各階の動線は, 来庁者の流れと郵便物処理の流れが交錯しないよう配慮され, 業務効率と公共性の両立が達成されている.また, 1915[大正4]年には東京駅との間に地下通路が完成し, 複線の地下軌道を通じて電気機関車による郵便物搬送が行われた.これは日本初の地下鉄[1927年開業の上野-浅草間]よりも早い地下軌道の実現例であり, 都市インフラと郵便事業の緊密な連携を示すものであった.
外観デザインはモダニズム建築の典型であり, 白い二丁掛け磁器タイル貼りのシンプルな立面が特徴であった.装飾を抑えた合理的なデザインながら, 水平・垂直ラインの強調によって安定感と公共建築としての品格が保持されている.東京駅側の正面は敷地形状に合わせて緩やかな曲線[くの字型]を描き, 白い外壁と黒いスチールサッシュ枠のコントラストが明快な表情を生み出していた.建物の「表」と「裏」が明確に区別され, 表側はシンプルかつ清楚な外観とし, 裏側には避難階段や発着台, 煙突などの設備が配置された.
ドイツの建築家ブルーノ・タウトは, この局舎を訪れた際に「日本の新建築の最高峰」と絶賛し, 国際的にも高く評価された.1999年にはDOCOMOMO[近代建築の記録・保存に関する国際組織]により「日本の近代建築20選」に選定され, 日本を代表する逓信建築として認知されている.
老朽化と容積率の非効率利用を背景に, 日本郵政グループは再開発を進め, 地上38階・地下4階, 高さ約200メートルの超高層オフィス・商業ビル「JPタワー」が建設されることとなった.再開発の過程では保存を求める声が強く, 2008年に当時の総務大臣が解体方針に異議を唱えるなど社会的議論を呼んだ.最終的に旧局舎の低層部[外壁・1階窓口ホール等]を保存する方針が決定され, 免震構造によって構造躯体を保存する形で再生された.2009年に着工し, 2012年5月に竣工, 同年7月に東京中央郵便局とゆうちょ銀行本店が移転・開業, 同年10月には保存された低層部を活用した商業施設「KITTE[キッテ]」が開業した.旧局舎の意匠要素が復原されつつ, 現代建築と融合した形で継承されている.4階には旧東京中央郵便局長室が創建当時の内装を保存・再現した「レタールーム」として公開され, 歴史的記憶を伝える空間となっている.
旧東京中央郵便局局舎は, 1930年代の日本におけるモダニズム公共建築の重要な事例であり, 都市交通・通信・金融の統合拠点として機能してきた.吉田鉄郎による端正な設計は, 装飾を排した機能主義と日本的な美意識の融合を試み, 国際的にも評価される建築的達成を示した.再開発により部分的に保存され現代建築に組み込まれた姿は, 近代建築を都市の変化に適応させつつ継承する方法の一例であり, 歴史的建造物の保存と都市再生の両立という課題への一つの解答を提示している.
東京・千代田区丸の内@2009-04

今日も街角をぶらりと散策.
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