ぶらぶら絵葉書

立野橋

立野橋は東京都練馬区に所在する千川上水に架かっていた橋梁である.名称は付近の小字「立野」に由来する.

千川上水は元禄9[1696]年に玉川上水から分水して開削された用水路であり, 江戸城下への飲料水供給を目的とした.開削は将軍徳川綱吉の命によるもので, 公式には小石川御殿, 湯島聖堂, 上野寛永寺, 浅草浅草寺などへの給水が目的とされたが, 実際には柳沢吉保の下屋敷である六義園の池への引水も重視されていた.立野橋はこの水路に架けられ, 地域の往来を支えるとともに水路管理上の役割を果たした.

千川上水は明治以降, 飲料水としての利用が減少し, 昭和40年代までは農業用水や工業用水に活用された.最盛期には流域に10基以上の水車が設置され稼働していたが, 都市化の進展に伴い1970[昭和45]年頃から暗渠化が進められた.

現在, 千川上水の流路は大部分が暗渠化され, その用地は千川通り[東京都道439号椎名町上石神井線, 補助第229号線]として整備されている.富士見台駅付近から八成橋交差点まではプラタナス並木が続き, 立野橋交差点から終点の関町一丁目交差点までは千川上水緑道が併設されている.

立野橋の名称は現在も交差点名として残っており, これはかつて上石神井村字立野において千川上水に架けられた橋の名残である.立野橋は地域の歴史を伝える象徴として記憶され, 暗渠化された千川上水と千川通りは, 江戸時代の都市給水史および武蔵野台地の水利環境を現代に伝える重要な存在である.

@2025-09


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