八坂神社
本殿に祀られるのは素戔嗚尊[すさのおのみこと]であり, その妃神である櫛稲田姫命, さらに八柱御子神を配祀している.素戔嗚尊は『日本書紀』『古事記』において天照大神の弟神として登場し, 八岐大蛇退治の神話で知られるが, 八坂神社においては疫病を祓う神格として信仰された.平安時代, 都ではしばしば疫病の流行があり, その鎮護を祈るために祇園社の祭礼が行われた.これが後の祇園祭の起源であり, 今日でも日本三大祭の一つとして知られる.
八坂神社の起源は諸説あるが, 社伝によれば斉明天皇2[656]年, 高麗系の僧・伊利之[いりし]が素戔嗚尊を祀ったのが始まりとされる.また有力な説では, 平安時代前期の貞観18[876]年に僧・円如が感神院を創建したとされる.平安京遷都後, 都の守護神として祀られるようになり, 国家的祭祀に深く関与し, 平安貴族の間で祇園信仰が広まった.
本殿は重要文化財に指定されており, 江戸時代の承応3[1654]年に幕府の援助を受けて再建されたものである.独特の「祇園造」と呼ばれる形式をとり, 前方に拝殿を兼ねた建物を連結させる構造を有する.この様式は八坂神社を中心に展開した特異な社殿様式であり, 建築史的にも注目される.楼門にあたる西楼門もまた京都の東山における象徴的景観を構成し, 祇園の町並みと一体となって京都の都市文化を体現している.ただし, 祇園甲部の舞妓や芸妓による「祇園をどり」は祇園会館[八坂神社南隣]で行われ, 境内舞殿での恒例行事ではない.
祇園祭は八坂神社の祭礼として著名である.貞観11[869]年, 都に疫病が流行した際, 卜部日良麿が, 全国66か国にちなみ66本の鉾[後の山鉾の起源]を立てて祇園社に祈りを捧げたのがその起源とされる.以来, 疫病退散を祈る祭りとして定着し, 山鉾巡行を中心に発展した.今日では7月を通じて行われる大規模な祭礼行事となり, 前祭[7月17日]と後祭[7月24日]の山鉾巡行, さらに神輿渡御を核として, 京都の町衆文化を伝える世界的に知られた行事である.2009[平成21]年にはユネスコ無形文化遺産に登録され, 国際的な評価も確立している.
八坂神社の信仰は, 古代以来の荒ぶる神である素戔嗚尊を疫神除けの守護神へと転換させる日本的宗教文化の展開を示している.さらに中世以降はインド祇園精舎の守護神とされた牛頭天王と習合し, 荒神でありながら疫病除けの神としての両義性を持つ信仰へと発展した.こうした神仏習合的性格は明治の神仏分離で断絶を余儀なくされたが, 信仰の基層には疫病除け・厄除開運の祈りが今なお生きている.
境内には本殿のほか, 美容と縁結びの神として女性の信仰を集める美御前社, 摂社の大国主社や十社殿など多様な社殿が並び, 京都市民の日常生活の中に深く根付いている.新年の初詣, 節分祭, 七五三参りなど四季の行事を通じて庶民の生活に寄り添う存在である.特に大晦日から元旦にかけての「をけら詣り」は京都の風物詩として親しまれ, 境内で焚かれる白朮[をけら]の火を縄に移して持ち帰る習慣が今も続いている.
@2023-12
今日も街角をぶらりと散策.
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