摩利支天堂
禅居庵は建仁寺の塔頭寺院として知られ, 開山は南北朝時代の正平16[1361]年頃に清拙正澄禅師の弟子である大鑑禅師によって創建されたと伝えられている.江戸時代中期以降, 摩利支天信仰の広がりとともに禅居庵は「摩利支天堂」と通称され, 今日では寺院の正式名称よりも摩利支天を祀る堂としての呼称が一般的となっている.境内においては, 堂宇の正面に摩利支天像が祀られ, 参拝者は線香を供え, 家運隆盛や厄除開運を祈願する習慣が定着している.
摩利支天は陽炎[カゲロウ]の象徴であり,「光や陽炎のように, そこにありながら敵からは見えない」「相手から攻撃されない」という性格を持つ.そのため, 武士が戦勝を願って祈願したと同時に, 商人は「商売敵に打ち勝つ」あるいは「商機を逸せずに立ち回る」といった意味を込めて信仰した.そのため禅居庵摩利支天堂は, 武家社会に由来する信仰と町人社会に広がった信仰が交錯する場として特色を持っている.
境内には多数の猪の像や絵馬が奉納されている.これは摩利支天の眷属として猪が伝えられていることによる.摩利支天像自体も三面六臂の姿で猪に乗る姿として表現されることが多く, 猪は信仰の象徴である.したがって境内には参拝者が奉納した猪の木像や石像が並び, 特に亥年に際しては全国から参詣者が集まり賑わう.
禅居庵摩利支天堂は, 京都市内に数多く存在する摩利支天信仰の中心地の一つであると同時に, 都市庶民の信仰文化を伝える貴重な場である.その宗教的性格は純粋な禅寺の塔頭に留まらず, 信仰の場として独自の発展を遂げた点に意義がある.また, 禅居庵摩利支天堂は禅寺の体系と民間信仰の両面を併せ持つ特異な存在である.
@2024-12
今日も街角をぶらりと散策.
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