旧東京第一陸軍造兵廠本部
東京第一陸軍造兵廠本部の建物は,東京都北区十条台に位置し,昭和5[1930]年に旧陸軍の火工廠本部庁舎として竣工したものである.設計には当時の陸軍技術者が関与しており,関東大震災後の耐震設計思想に基づいた鉄筋コンクリート造,地上3階地下1階の堅牢な構造を有している.
外観は当初,茶褐色のスクラッチタイルで覆われていたが,戦後,進駐軍に接収されて「Tokyo Ordnance Depot[TOD]」,後の「キャンプ王子」として利用された際,全体が白く塗装された.以後,1971年まで米軍補給施設として使用され,昭和46[1971]年に日本側へ返還された.
建物正面は左右対称のシンメトリカルな構成を取り,中央の三連アーチの車寄せや,縦長の半円アーチ窓が特徴的である.北側と南側の均整の取れた外観は「王子のホワイトハウス」とも称され,重厚かつ優美な印象を与える.
本部庁舎の周囲には,造兵廠時代の遺構として煉瓦塀が一部残存しており,当時の敷地境界を示す重要な物証となっている.これらは現在,十条富士見中学校の敷地や図書館の隣接区域に残されており,校舎解体時に出土した煉瓦の一部は記念的に再利用され,敷地内のベンチ装飾に転用されている.
この地域の軍需施設としての歴史は,明治38[1905]年,東京小石川の東京砲兵工廠から銃包製造部門が十条に移転し,東京砲兵工廠銃包製造所が開設されたことに始まる.明治42年には新設部門が増設され,さらに1922[大正11]年には関東大震災後の再編に伴い火工廠も十条に移転された.明治44年から大正15年にかけて銃包製造所と火工廠の統合が進み,1940[昭和15]年には組織改編により東京第一陸軍造兵廠が成立した.
終戦後,施設の大半は空襲によって損壊,または進駐軍によって接収されたが,本部庁舎は奇跡的に残り,1971年の返還後,北区がこれを取得した.1981[昭和56]年には北区立中央公園文化センターとして再整備され,地域の学習・文化活動の拠点として活用されている.
敷地内にはかつて本部庁舎と連携して使用されていた煙突やボイラー設備なども存在していたが,これらは後に撤去・再整備され,現在では児童遊園や公共施設用地に転用されている.
@2024-06
今日も街角をぶらりと散策.
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