ぶらぶら絵葉書

尾道本通り商店街

尾道本通り商店街[おのみちほんどおりしょうてんがい]は,広島県尾道市の中心市街地に位置する,歴史的かつ文化的に重要な商業集積地である.尾道駅から東に向かって約1.2kmにわたり伸びるアーケード街を中核とし,「芙美子通り」「土堂中商店街」「本町センター街」「絵のまち通り」「尾道通り」の五つの通りによって構成される.古くから「尾道の顔」として市民と観光客の双方に親しまれてきた商業地域である.

この商店街の成立と発展は,瀬戸内海沿岸の港町として繁栄した尾道の地理的・歴史的条件と深く関係している.尾道は平安時代末期から中世にかけて,海上交通の要衝としてその地位を確立した.なお,かつて記述されることがある「鎌倉時代における北前船の寄港地」という表現は誤りである.北前船は江戸時代中期,18世紀以降に活躍した商船群であり,それ以前には存在していなかった.尾道は中世より瀬戸内海航路の主要港として栄え,江戸時代には北前船を含む商船の寄港地として大いに繁栄したのが正確な歴史である.

尾道はまた,陸路と海路を結ぶ結節点として,多くの商人や旅人が行き交う交通の要衝であった.本通りはその市街地の中核として形成され,物資や情報,文化が行き交う都市空間として重要な役割を担ってきた.江戸時代を通じて尾道は「西国の小京都」とも称される文化都市としての性格を強め,明治以降は鉄道の開通と国道2号の整備により,尾道本通り商店街は近代的な商業地として再編された.昭和30年代から40年代にかけてアーケードの整備が進められ,天候に左右されずに買い物ができる快適な都市型商店街としての機能を確立した.

戦後の高度経済成長を経て,平成期以降は郊外型大型店舗の進出や人口減少の影響を受け,来街者の減少や空き店舗の増加といった課題にも直面した.しかし,地元住民,行政,民間による再生の取り組みが進展し,近年では古民家を活用したカフェ,ギャラリー,ゲストハウスなどが商店街に点在するようになった.尾道独特の「暮らしの文化圏」としての魅力を再び取り戻しつつある.

尾道はまた,近代日本文学および映画史においても特筆すべき地位を占めている.志賀直哉は1912年から1915年にかけて尾道に居住し,この地での経験が後に代表作『暗夜行路』の舞台の一部に反映された.林芙美子も尾道で幼少期を過ごしており,放浪記的作風の根底には尾道の情景と庶民生活が色濃く影を落としている.さらに,映画監督・小津安二郎は,名作『東京物語』[1953年]の撮影舞台として尾道を選び,戦後日本の家族像と故郷の風景を静謐かつ詩的に描いた.この作品により尾道は「映画の原風景」として日本人の集団的記憶に深く刻まれた.

そして,尾道の文化的イメージを決定的に形成したのが,尾道出身の映画監督・大林宣彦である.1980年代に発表された「尾道三部作」—『転校生』[1982年],『時をかける少女』[1983年],『さびしんぼう』[1985年]—は,本通り商店街やその周辺の坂道,寺町,港町の風景を情感豊かに描き出し,全国的に尾道を「映画のまち」として知らしめた.とりわけ,大林作品における映像詩的な表現は,尾道の歴史的建築物や路地のたたずまいと共鳴し,商店街を単なる買い物の場以上の「記憶と情感の都市空間」へと昇華させている.

現在の尾道本通り商店街には,約210件の店舗が軒を連ねており,衣料品店,鮮魚店,青果店,薬局,書店,喫茶店など,地元密着型の老舗が多数残る一方で,若い世代による新たな創業も活発であり,古きと新しきが共存する街並みが形成されている.とりわけ,文学者や映画監督ゆかりのスポットや記念碑,展示施設が点在しており,商店街は尾道の文化的アイデンティティを象徴する場ともなっている.

また,尾道みなと祭や尾道灯りまつりといった地域行事においても本通り商店街は重要な舞台であり,地域コミュニティの中核としての役割を果たしている.商店街は単なる商業施設を超えて,市民の憩いの場,文化交流の拠点,観光資源としての多面的な機能を担っており,地域経済の持続的発展に貢献している.

尾道本通り商店街は,過去と現在,生活と芸術,地元と外部が交差する「生きた都市遺産」であり,今後も歴史・文化・商業が融合する持続可能な都市の象徴として,その価値が一層問われてゆくであろう.瀬戸内海の美しい自然環境と調和しながら,伝統的な商業文化を継承し,新たな創造性を育む場として,地域住民と来訪者双方にとって魅力的な空間であり続けることが期待される.

@2014-08


今日も街角をぶらりと散策.
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