武蔵伊達城

さいたまは大和田にあるお城。

岩槻城の支城として岩槻太田氏の家老・伊達房実(-1626)によって1560(永禄3)年に築城されました。

1560(永禄3)年から翌年に掛けては上杉謙信が関東に侵攻し鎌倉で関東管領に就任式を執り行うとともに、北条氏の本拠地である小田原城に攻め込んでいます。

岩槻城主の太田資正(1522-1591)は上杉謙信の求めに応じて北条氏康から離反。これ以降、岩槻城は北条軍の猛攻に晒されることになります。

しかし、太田資正(1522-1591)の子の太田氏資(1542-1567)は、父親が1564(永禄7)年に第2次国府台合戦で北条氏康に敗れると、岩槻城を奪い父親を追放して北条方に与します。この時点で、対北条の城としての武蔵伊達城の役割は終わったと言えます。

1590(天正18)年の豊臣秀吉による小田原征伐によって、岩槻城が落城した後、伊達房実は徳川家康によって召し抱えられ旧領の大和田を知行することになります。この頃に、武蔵伊達城は破却されたと考えられます。