笹下城

横浜は港南区の笹下にある幻のお城です。

なぜ幻と呼ばれるかというと調査が行われる前に宅地開発の波に飲み込まれて詳細が不明になってしまったから。

篠筍城、佐々木城とも呼ばれた笹下城は北条氏の一門となっていた武蔵吉良氏の蒔田城と玉縄北条氏の玉縄城とを結ぶ防衛拠点として房総の里見氏の侵攻に備えて築城されたと考えられています。築城は間宮信元で天文年間(1532-54)とされます。

間宮氏は近江源氏佐々木氏の庶流で伊豆馬宮を本貫とした一族。北条早雲こと伊勢宗瑞の伊豆平定時に伊勢宗瑞に従い家人となります。1510年の権現山合戦では間宮信盛が扇谷上杉氏に叛旗を翻した上田政盛とともに権現山城に籠城しています。相模侵攻の先鋒として活躍したことから、間宮家は後北条家の相模衆14家の筆頭となり、間宮信盛の子の間宮信元は笹下城を築いて河崎の居館(現在の宗三寺)から本拠地を移しています。

間宮信元の子の間宮康俊(1518-1590)は1590(天正18)年の豊臣秀吉による小田原征伐時に、松田康長(1537-1590)が城将を務める山中城に援軍として出兵。豊臣軍7万を引き受けて豊臣方の一柳直末(1546-1590)を討ち取った後、松田康長とともに討死しました。

間宮康俊の奮戦ぶりに感じ入った徳川家康は後に関東に入部すると、間宮一族を招請し家臣としています。