上本郷館

松戸は風早神社の地にあるお城。

鎌倉時代に、源頼朝に鎌倉を本拠とすることを勧めたことで知られる千葉常胤(1118-1201)の六男・東胤頼(1155-1228)の子・四郎胤康が下総国葛飾郡風早郷に本拠地を構えて風早四郎入道を称したといいます。上本郷館は風早胤康の館です。

胤康には太郎左衛門尉康常、次郎為康の二子がいましたが、為康が家督を継ぎ、為康の跡を孫四郎顕康が継ぎ、顕康には彦四郎貞泰、時秀、泰宗の子がいたことが知られていますが、それ以降は風早氏は歴史上からは姿を消しました。

胤康は胤という千葉氏ゆかりの一字を持ちますが、顕康には鎌倉幕府第15代執権北条貞顕(1278-1333)やその父の北条顕時(1248-1301)との関連が見え隠れします。

金沢流北条氏の第3代の北条顕時は、1285(弘安8)年に内管領・平頼綱が安達泰盛を滅ぼした霜月騒動の余波で、安達泰盛の娘・千代野を正室としていた北条顕時は領地であった下総埴生庄で出家しています。下総埴生庄は成田市西部に当たります。

風早氏はこの金沢流北条氏の御内人になっていたとも考えられます。

風早神社は風早氏の上本郷館の跡地に建立されたと言われています。