いかさまトランプ師

バロック期のイタリア人画家カラバッジョ[Michelangelo Merisi da Caravaggio;1571-09-29/1610-07-18]による1594年の作品.フォート・ワース・キンベル美術館所蔵.

「いかさまトランプ師」[伊題：I bari]は,若き日のカラヴァッジョがローマで頭角を現す契機となった初期代表作である.現在は米国テキサス州フォートワースのキンベル美術館に所蔵され,サイズは約94.2×130.9センチ,油彩・カンヴァスである.制作年については1594年頃とする説,1595年頃とする説,さらに1596–97年頃とする説があり,研究者の間で一定の幅が認められている.いずれにせよ本作が枢機卿フランチェスコ・マリア・デル・モンテの目にとまり,彼の購入と庇護を得てカラヴァッジョが宮廷や教会ネットワークへ参入する転機となった点に史的意義がある.

主題は,テーブルをはさんだ三人の「だまし」の寸劇である.左の小綺麗な若者[カモ]が手札に没頭している隙に,中央の年長の手練れが指先の出る手袋で手触りを利かせつつ合図を送り,右の若い相棒はいままさに背中の帯から隠し札を抜き取ろうとしている.遊戯はポーカーの前身とされるプリメーロで,視線と指先の合図,仕草の連鎖が「欺き」と「無垢の喪失」という人間的ドラマを生む.わたしたち鑑賞者だけが不正の全貌を見通せる構図になっており,観客を共犯的立場へ引き込む叙述性が本作の眼目である.

画面構成は人物を手元近くまで寄せ,舞台袖のような間近さで一瞬の心理劇を切り取る.背景は簡潔で,明暗法が後年ほど劇的に極まる前段階にありながら,素材表現は驚くほど生々しい.制作技法の調査から,北イタリアに学んだ明るい灰色の地塗りの上に,下絵なしで直接人物を描き起こす「直描き」が確かめられる.赤外線画像で若いイカサマ師の手・カード・帯,さらには胴着の縞模様の位置まで途中で描き改められた痕跡[ペンティメント]が確認され,思考しながらキャンヴァス上で構図を「探る」カラヴァッジョの現場主義が露わになる.濡れた絵具を指で叩いて絹のブロケードの艶を出す,筆の柄で刺繍を引っかくなど,触覚的な筆致も本作の特徴である.

本作の背面にはデル・モンテの収蔵印が押されており,彼の没後1627年の目録にも記載がある.その後はローマのバルベリーニ家を経てシアラ家へと伝わり,19世紀末以降は所在が長らく不明であったが,1987年にヨーロッパの個人コレクションから再発見され,同年キンベル美術館が取得した.修復の過程で,後世に上縁へ継ぎ足されていた約14センチの横長キャンヴァス片が除去され,さらに裏面のデル・モンテの収蔵印も明瞭になったことが報告されている.

主題・様式の影響史の面でも本作の比重は大きい.カラヴァッジョは同時期の「占い師」とともに,日常の詐術を題材にした新しいジャンル場面を切り拓き,その語彙はヨーロッパ各地へ波及した.たとえばキンベルが所蔵するラ・トゥールの「いかさま師[クラブのエース]」は,人物配置や視線の罠の設計に本作の語法を明瞭に継承している.

真贋・ヴァージョンについては,キンベル本作が原作として広く承認される一方,同構図の同時代コピーや模倣作が各地に伝わる.2000年代以降にはロンドンの競売会社で低評価で売られた一作をめぐり,のちに「真筆の可能性がある」とする見解が提起され訴訟に発展したが,2015年の高等法院判決は競売会社の鑑定過程の過失を認めずに終結している.学界の通説は依然としてキンベル蔵作をオリジナルとみなす立場である.

なお,キンベル美術館の作品は2023年8月から2024年春にかけて,シカゴ美術館での「Among Friends and Rivals: Caravaggio in Rome[友とライヴァルのあいだで：ローマのカラヴァッジョ]」展,トレド美術館での「The Brilliance of Caravaggio: Four Paintings in Focus[カラヴァッジョの輝き―四つの作品に焦点をあてて]」展に巡回展示され,現在も国際的な注目を集め続けている.

総じて「いかさまトランプ師」は,騙す者と騙される者,そしてそれを目撃する観客という三者の配置を通じて,人間関係の心理劇を可視化した作品である.即興性の高い制作と触覚的な描写が,布地の織り,革の張り,カードの紙肌までを生き生きと伝え,カラヴァッジョの自然主義がいきなり成熟した水準で姿を現している.初期カラヴァッジョの挑戦が,その後のヨーロッパ絵画の語り口を変える端緒になったことを,本作は雄弁に物語っている.