ブレダの開城

スペイン・バロックを代表するディエゴ・ベラスケス[Diego Rodríguez de Silva y Velázque,1599-06-06/1660-08-06]の1634-35年の作品.プラド美術館所蔵.

ブレダの開城[The Surrender of Breda]は,1634年から1635年にスペイン王フェリペ4世の依頼により制作された油彩画である.現在はマドリードのプラド美術館に所蔵されており,高さ約307センチ,幅約367センチの大作である.

八十年戦争[1566/1648,オランダ独立戦争]は,スペイン・ハプスブルク家の支配下にあったネーデルラント[現在のオランダ・ベルギー]が独立を求めて戦った長期間の戦争である.宗教的対立[カトリックとプロテスタント],政治的自治権の要求,重税への反発が主要因となった.最終的に1648年のウェストファリア条約でオランダ共和国の独立が正式に承認された.

描かれているのは,1625年6月2日に終結した八十年戦争中のブレダ包囲戦の降伏場面である.オランダ軍の軍事指揮官ユスティヌス・ファン・ナッサウ[Maurits van Nassau, 1567-11-13/1625-04-23]が,スペイン軍総司令官アンブロシオ・スピノラ侯爵[Ambrosio Spinola, 1569/1630-09-25]に都市の鍵を手渡す瞬間が表現されている.約10ヶ月間の包囲戦の末,食糧不足に陥ったブレダは降伏した.スピノラ将軍は敬意と寛容をもってファン・ナッサウを迎えており,両軍将校の間に尊厳と礼節が保たれている様子が描かれている.

しかし,この勝利は一時的なものに過ぎなかった.1637年,オランダ軍は反攻作戦を開始し,フレデリク・ヘンドリック・ファン・オラニエ公[Hendrik van Oranje-Nassau,1820-06-13/1879-01-14]の指揮の下でブレダを奪還した.この逆転は八十年戦争全体の流れを象徴している.1625年のブレダ開城はスペインの最後の大勝利の一つであり,その後スペインの戦力は衰退し,オランダが徐々に優勢となっていった.最終的に1648年のウェストファリア条約で,スペインはオランダの独立を正式に承認せざるを得なくなった.

構図は左右に二分され,左側には疲弊したオランダ兵が,右側には整然としたスペイン兵が描かれている.背景には戦闘の煙や破壊の痕跡が広がっているが,前景では和解の瞬間に視線が集中するように配置されている.特に画面右側奥に立ち並ぶ槍の列はスペイン軍歩兵[テルシオ]のものであり,規律の高さと軍勢の威容を象徴している.これに対して左側のオランダ兵は秩序が乱れ,疲弊した様子で描かれ,両軍の対比が際立つ.槍の列が強い視覚的効果を与えるため,本作はラス・ランサス[槍の画]とも呼ばれている.

色彩は穏やかで落ち着いた茶や青を基調とし,ヴェネツィア派の影響を思わせる光と空間の表現が際立つ.ベラスケスの作品としては比較的明るく調和のとれたパレットであり,戦場の厳しさよりも寛容と人間性を強調する方向性を示している.大気遠近法を駆使した奥行き表現や,登場人物の個性豊かな肖像描写にベラスケスの卓越した技術が発揮されている.

この作品は,マドリード郊外のブエン・レティーロ宮殿の諸王国の間[Salón de Reinos]を飾るために描かれた12点の戦勝画の一つである.単なる勝利の誇示ではなく,敵に対する寛大さとスペイン王権の高潔さを強調する意図を持つプロパガンダ的な性格を有している.当時のスペインは三十年戦争[1618-1648年]の最中にあり,軍事的威信と道徳的優位性を示す必要があった.皮肉にも,この絵画が完成した頃には既にスペインの軍事的優位は揺らぎ始めており,作品が描く勝利の栄光は過去のものとなりつつあった.

歴史的正確性の点では,例えば描かれたオランダ軍旗の配色などに実際との相違が見られるが,それは事実の再現よりも象徴的意味を重視したためである.ベラスケス自身は戦場を直接目撃しておらず,スピノラ将軍からの証言や図像資料をもとに構成を工夫したと考えられる.実際,スピノラはベラスケスの宮廷画家としての師匠的存在でもあり,1629年にベラスケスがイタリア旅行をした際には同行している.したがって本作品は史実を写すものではなく,理念的かつ精神的な価値を強調した絵画である.

総じて,ブレダの開城は,戦争の終結を勝利と敗北の単なる結果ではなく,高貴な和解の瞬間として描き出している.しかし歴史の皮肉として,この作品が讃える勝利は短命に終わり,最終的にはオランダが八十年戦争に勝利し独立を達成した.それでもなお,ベラスケスの卓越した写実力と人間理解が結実した傑作であり,バロック絵画における頂点の一つとして高い評価を受け続けている.後の歴史画や軍事画に大きな影響を与え,戦争を単なる暴力的行為ではなく,名誉と品格を持った行為として表現する模範となった.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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