アラクネの寓話

スペイン・バロックを代表するディエゴ・ベラスケス[Diego Rodríguez de Silva y Velázque,1599-06-06/1660-08-06]の作品.

ディエゴ・ベラスケスの『ラス・イランデーラス』[Las hilanderas,「織女たち」の意]は,1657年頃に制作されたスペイン・バロック絵画を代表する作品の一つであり,神話的主題と芸術論,さらには現実と幻想の複層構造を高度に融合させた傑作である.現在はマドリードのプラド美術館に所蔵されている.19世紀以降,この作品は『アラクネの寓話』[La fábula de Aracne]という別名でも知られるようになった.

この作品の主題は,古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』[第6巻]に記されたアラクネの神話に基づく.アラクネはリュディア地方の卓越した織物職人であり,自らの技術に絶対の自信を持っていた.あるとき彼女は,自身の腕が知恵と工芸の女神ミネルヴァ[ギリシア神話のアテナ]よりも優れていると公言した.これに怒ったミネルヴァは,老婆に変身してアラクネを戒めようとするが,アラクネは聞き入れず,ついに両者の間で織物の技比べが行われる.ミネルヴァは神々の威厳ある姿を織り込んだ作品を制作する一方,アラクネは神々の不道徳な愛の冒険—ゼウスによるエウロペの略奪など—を描いた布を織り上げ,その技術的完成度はミネルヴァのものと優劣つけがたいほどであった.しかし,この挑発的な内容に激怒したミネルヴァは,アラクネの織物を破壊し,彼女を蜘蛛へと変身させてしまった.この神話は,技術と芸術,創造性と傲慢,神的権威への挑戦と罰といったテーマを内包している.

ベラスケスの絵画は,この物語の複数の時間軸を同時に描写する革新的な構成を採用している.単純な物語の再現にとどまらず,二層構造の画面を通して,鑑賞者に多層的な解釈を促す仕組みを有する.画面前景では,スペイン王室のタペストリー工房サンタ・イサベル工場を思わせる現実的な作業場が描かれている.ここでは5人の女性たちが糸紡ぎや織物作業に従事しており,特に右側で糸車を操る老女と,左側の若い女性が中心的な位置を占める.長らく風俗画として親しまれてきたのは,この前景の日常的な描写によるものである.しかし20世紀の美術史研究により,この場面こそが老婆に変身したミネルヴァと,彼女に挑むアラクネの織物競技の最中であることが広く解釈されるようになった.

後景には,アーチに囲まれた奥の部屋が描かれており,そこには完成されたタペストリーが掛けられている.この織物は,ティツィアーノの原画に基づくルーベンスの模写作品『エウロペの略奪』[1559–1562年頃]を再現したものであるとされている.ゼウスが白い牡牛に変身してフェニキアの王女エウロペを誘拐する場面を描いたこの作品は,まさにアラクネが織り込んだ「神々の不道徳な行為」の典型例である.興味深いことに,この後景ではミネルヴァが兜を被った戦いの女神としての本来の姿で描かれ,アラクネと対峙している.つまり,前景では人間の姿をした競技中の場面,後景では神話の結末部分が同時に表現されているのである.

ベラスケスがティツィアーノの作品を引用したのは偶然ではない.ティツィアーノは当時,スペイン王室が収集していた最も重要な画家の一人であり,ベラスケス自身も深く影響を受けていた.この引用により,ベラスケスは絵画史の系譜における自身の位置を示すと同時に,アラクネ=芸術家としての自己言及的なメッセージを込めていると解釈される.

この作品には,ベラスケス自身の芸術観と当時の芸術論争への立場表明が強く反映されている.17世紀スペインにおいて,絵画は「機械的技芸」とされ,詩や音楽などの「自由技芸」よりも格下に位置づけられていた.しかしベラスケスは本作を通じて,絵画こそが知的創造と深い教養を要する高貴な芸術であることを主張している.アラクネの物語を選んだのも,優れた技術を持つ職人が神的創造の領域に挑戦するという構図が,画家の立場と重なり合うからであろう.

さらに,この絵画は視覚の錯覚と現実の境界を曖昧にする巧妙な仕掛けを持つ.前景の自然な光の描写,人物の動きや表情の写実性は,まるで実際の工房を覗き見ているかのような印象を与える.一方,後景の神話的場面は舞台のような人工的空間として表現されている.この対比により,ベラスケスは「芸術とは何か」「真実とは何か」という哲学的な問いを視覚的に提示している.

『ラス・イランデーラス』は,風俗画,歴史画,寓意画,芸術論,そして画家の自己言及的メタファーといった複数の次元を同時に成立させた作品である.1657年頃と推定される制作年代から,これはベラスケスの晩年の円熟期における最高傑作の一つとして位置づけられる.現実と神話,日常と永遠,技術と創造といった対立する概念を統合し,絵画芸術の可能性を極限まで押し広げたこの作品は,バロック美術の精髄を体現するとともに,後の近代絵画における自己言及的構造や視覚の多層性に先駆ける記念碑的作品として評価されている.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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