The Model

タマラ・ド・レンピッカ[Tamara de Lempicka[1898-1980]]の1925年の作品.

タマラ・ド・レンピッカは,20世紀初頭から中葉にかけて活躍したポーランド出身の画家であり,アール・デコ様式を代表する芸術家の一人である.彼女はその洗練された装飾性と官能性を帯びた肖像画によって,当時の欧米社会において独特の地位を築いた.

出生地についても長らく議論があり,ワルシャワ,モスクワ,サンクトペテルブルクのいずれかとされているが,一般的にはワルシャワ生まれとされている.本名はタマラ・ロザリア・グルヴィク=ゴルスカ[Tamara Rozalia Gurwik-Gorska],またはマリア・ボリソヴナ・グルヴィチ=グルスカヤ[Maria Borisovna Gurvich-Gurskaya]である.

父親はロシア系ユダヤ人の弁護士,母親はポーランド人の社交界の女性であった.裕福な家庭に生まれ,幼少期をスイスやイタリアで過ごし,ローザンヌの寄宿学校で教育を受けた.この時期にルネサンスやマニエリスムの巨匠たちの作品に触れ,大きな影響を受けた.

ロシア革命の混乱を受けてパリに亡命し,生活の手段として本格的に絵画を学び始めた.パリでは最初にアカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエールで学び,その後アカデミー・ランソンに移った.アカデミー・ランソンでは象徴主義の画家モーリス・ドニに師事し,さらにキュビスムの画家アンドレ・ロートからも指導を受けた.エコール・ド・パリ[パリ派]の一員として活動しながらも,その作風はキュビスムと新古典主義を独自に融合した極めて特徴的なものであった.

彼女の作品は,幾何学的な構成と滑らかな質感,そして人工的な照明を思わせる陰影によって特徴づけられる.冷たくもエレガントな女性像を多く描き,「冷たい官能性[cold sensuality]」とも形容される.代表作としては『グリーン・ブガッティの自画像』[1929年]や『アダムとイヴ』[1932年]などが挙げられる.特に『グリーン・ブガッティの自画像』は「現代女性のアイコン」と呼ばれ,彼女の名声を決定づけた作品となった.

また,彼女はモード[ファッション]と非常に密接に関わっており,当時のパリ社交界やハリウッドのスターたちの肖像を多く手がけた.その作風は,1920〜30年代のアール・デコの装飾芸術と都市的モダニズムを象徴している.

レンピッカは同性愛的傾向を持ち,両性愛者として知られていた.彼女の奔放な性生活や上流階級の人間関係は,彼女の芸術と同様にスキャンダラスであり,同時に彼女自身のブランド性の一部でもあった.第二次世界大戦の勃発により1939年にアメリカに移住し,その後も創作活動を続けた.最終的にはメキシコのクエルナバカで1980年3月18日に生涯を終えた.

彼女の芸術的遺産は,単なる美術史上の位置づけを超えて,20世紀の女性の自立と表現の自由を象徴する存在として,現代においても高く評価され続けている.その独特な様式美と時代精神を体現した作品群は,アール・デコ期の文化的エッセンスを最も鮮明に表現したものの一つとして,美術史において不朽の地位を占めている.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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