La Belle Rafaela

タマラ・ド・レンピッカ[Tamara de Lempicka,1898-05-16/1980-03-18]の1927年の作品.

レンピッカは,20世紀前半に活躍したポーランド生まれの画家であり,アール・デコ様式[Art Déco]を代表する芸術家の一人として広く知られている.彼女の作品は,幾何学的構成と冷ややかで洗練された美学を特徴とし,特に女性像においてその独特な様式を確立した.社会的地位,官能性,モダニズムが交差する彼女の画風は,単なる時代の産物ではなく,モダン・フェミニニティと個人主義を象徴するものである.

レンピッカは1898年,ロシア帝国領ポーランドに生まれ,裕福な家庭に育った.第一次世界大戦の影響で一時ロシアに移住したが,十月革命後にパリへ逃れ,そこで本格的に芸術家としての修行を始めた.パリではアカデミー・ド・グランド・ショミエールなどで学び,アングルの古典的写実主義と,クーベルタンやレジェらの影響を受けたキュビスム様式を融合させた,独自の様式を築いていった.

1920年代から30年代にかけて,ヨーロッパの社交界や上流階級の間で非常に高い人気を誇り,富裕層や芸術家,知識人などを対象に多くの肖像画を描いた.その作品は,硬質な光沢感,滑らかな肌の描写,鋭いコントラストを伴う構成を持ち,近代的かつ機械的な美意識とともに,女性の肉体を理想化しつつも主体的に描き出す点に特徴がある.特に1925年の万国装飾美術博覧会において,彼女のスタイルはアール・デコの精神を具現するものとして高く評価された.

レンピッカはまた,私生活においても自由奔放な振る舞いと強い自己主張を持ち,同性愛的傾向や多数の恋愛遍歴でも注目を集めた.その生き様は,作品の中に描かれた独立心の強い女性像と不可分の関係にあり,芸術と人生が相互に反映し合っていたといえる.

第二次世界大戦の勃発とともにアメリカへ渡った彼女は,その後メキシコを最終的な地とし,1980年にサン・ルイス・ポトシで死去した.晩年の作品は,初期のアール・デコの精緻な構成からはやや離れ,より抽象的・宗教的なテーマに傾いていったが,彼女の芸術的遺産は,21世紀に入ってから再評価されている.

現在,レンピッカの作品は美術館やプライベートコレクションにおいて高い評価を受けており,マドンナやバーバラ・ストライサンドなどの著名人がその絵を収集するなど,アール・デコを象徴する存在として再び注目されている.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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