

フランスのロココ時代を代表する画家であり、雅宴画(フェート・ギャラント、fêtes galantes)で知られるアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau、洗礼日1684年10月10日~1721年7月18日)による1718年〜1721年頃の作品。
描かれているのは、トロイア戦争の引き金となったことで高名なギリシャ神話のエピソードである。「最も美しい女神に贈る」とされた1個の黄金の林檎を巡り、3人の女神が美を競い合った。神々の王ゼウスから審判を命じられたトロイアの王子パリスが、最終的な判定を下す場面が表現されている。
画面中央で美しい後ろ姿を見せている裸婦は、愛と美の女神ヴィーナスである。彼女はパリスに「世界一の美女を妻として与える」という報酬を約束し、勝利を勝ち取った。彼女の右側に寄り添っている小さな子供は、息子のキューピッドである。
画面左側に座り、手にした黄金の林檎をヴィーナスへと差し出している青年がパリスである。彼の足元には、羊飼いの猟犬が丸くなっている。パリスの後ろから覗き込み、羽のついた帽子をかぶっている人物は神々の使者メルクリウスであり、ゼウスの命令をパリスに伝える案内役を務めた。
一方で、画面右側の暗がりには兜をかぶり盾を持った知恵の女神ミネルヴァが描かれている。また、ヴィーナスの頭上の雲のあたりには、競争に敗れて悔しがりながら去っていく最高位の女神ユーノーの姿がうっすらと配置されている。
ヴァトーは、それまでの重厚なバロック絵画とは異なり、軽やかで夢の中のような繊細な光と色彩を用いてこの神話を再現した。画面全体が柔らかい筆跡で包まれており、のちの大戦争という残酷な結末を感じさせない、優雅で官能的なロココ特有の美しさが表現されている。
この絵画の表現技法において最も特筆すべきは、ヴァトーが完成させた「フェート・ギャラント(雅なる宴)」の系譜を引く、演劇的で夢幻的な空間構成である。古典的な宗教画や歴史画のような厳格な輪郭線は排除され、色彩の微細なグラデーションと柔らかな光のゆらめきによって画面が構築されている。特に中央のヴィーナスの白い肌と、彼女が掲げる薄衣の質感は、ヴァトーらしい繊細なタッチで描かれており、神話の壮大さよりも、どこか退廃的で親密な官能性を際立たせている。
また、背景の明暗の対比も巧みである。勝者であるヴィーナスには明るい光が注ぐ一方で、敗者となったミネルヴァは右側の深い影の中に押しやられ、ユーノーは上空の雲へと溶け込んでいく。この光と影の演出が、美の審判の決着をドラマチックに告げている。
一方で、描かれた神々の人間関係は、この審判ののちに起こる凄惨な「トロイア戦争」の対立図式そのものである。林檎を勝ち取ったヴィーナスは、パリスにスパルタの王妃ヘレネを与えたため、パリスの所属するトロイア陣営の強力な後ろ盾となった。これに対し、美を否定されたユーノーとミネルヴァの怒りと怨恨は深く、彼女たちはギリシャ軍の側に立ち、トロイアを滅ぼすために暗躍することになる。さらに、この場を整えたメルクリウスと、パリスに選ばれたヴィーナスは、かつて情を交わした複雑な関係でもある。このように、一見すると若者と美女たちが戯れる優雅なロココのワンシーンでありながら、その背後には神々の激しい嫉妬や愛憎、そして一国を滅ぼすことになる巨大な運命の歯車が潜んでいる。
'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"
