

ハプスブルク家のアンブラス城コレクション(Ambras Collection)に収蔵されている歴代君主の肖像画シリーズ。
ハプスブルク家(House of Habsburg)の歴史における偉大なる祖、ローマ王ルドルフ1世(King Rudolf I of Germany,1218-05-01 – 1291-07-15)を描いたこの肖像画は、中世の君主の姿を現代に伝える貴重な視覚資料であり、その背景には16世紀後半のハプスブルク宮廷における壮大なコレクション形成の歴史が息づいている。この作品を理解する上で極めて重要な舞台となるのが、オーストリアのインスブルック近郊に位置するアンブラス城(Ambras Castle,Schloss Ambras)であり、そこに集められた膨大な至宝の数々、いわゆるアンブラス城コレクションである。これは、当時の最先端の知性と富の象徴であった「驚異の部屋(Cabinet of curiosities, Wunderkammer)」の最高峰として知られ、自然の産物から人工の芸術品、さらには歴史的な武具にいたるまで、世界中の珍品が網羅されていた。そして、この稀代のコレクションを築き上げた人物こそが、当時のチロル地方を治めていた神聖ローマ皇帝フェルディナント1世(Ferdinand I)の次男、フェルディナント2世大公(Archduke Ferdinand II)である。フェルディナント2世大公は、高度な人文主義的教養を備えた熱狂的な収集家であり、自らの知的好奇心を満たすと同時に、ハプスブルク家がいかに神聖で正統な血筋であるかを広く世に示すために、アンブラス城を一大博物館へと改装した。大公が特に情熱を注いだプロジェクトの一つが、ハプスブルク家の偉大な祖先や歴史上の重要人物の姿を一堂に集める肖像画ギャラリーの創設であった。
13世紀に君臨したルドルフ1世の肖像画も、まさにこのフェルディナント2世大公の命によって、16世紀後半に宮廷お抱えの画家工房の手で制作された一連のシリーズの一部をなすものである。ルドルフ1世自身は、それまで無名に近いスイス・アールガウ地方の一伯爵にすぎなかったハプスブルク家から初めてローマ王(ドイツ王)に選出され、宿敵ボヘミア王オタカル2世(King Ottokar II of Bohemia )を破ってオーストリアの地を手中に収め、名門の繁栄の礎を築いた不世出の英雄であるが、彼が実在した13世紀当時の写実的な肖像画はほとんど残されていない。そのため、フェルディナント2世大公の時代の宮廷画家たちは、中世の古い記録や墓碑彫刻などを手がかりにしながら、16世紀当時の洗練された油彩画の技術を用いて、一族の偉大なる始祖にふさわしい尊厳ある姿を再構成したのである。
本作においてルドルフ1世は、頭上に王冠を戴き、右手に権威の象徴である笏、左手に宝珠を思わせる器を持ち、胸元には黒い双頭の鷲の紋章を厳かに掲げている。この双頭鷲は、本来ローマ王・神聖ローマ皇帝という帝国の地位そのものに付随する紋章(帝国鷲)であるが、以後幾世紀にもわたりハプスブルク家が皇帝位を占め続けたことにより、同家を象徴する意匠として広く認識されるようになったものである。ルドルフ1世の肖像にこの紋章が描き込まれていること自体が、彼がハプスブルク家として初めてこの帝国の頂点に立った人物であることを視覚的に物語っている。このように、過去の英雄を同時代の最新様式で蘇らせることで、ハプスブルク家は自らの統治の正統性を視覚的にアピールし、帝国の結束を固めようとした。本作は、実証性よりも王朝の権威を伝えることに主眼を置いた、16世紀オーストリア宮廷の高潔な政治的・芸術的意図が生んだ傑作であると言える。
なお、ルドルフ1世は1273年に国王選挙で選ばれてローマ王に即位したが、生涯で一度もローマへ行って教皇からの戴冠式を受けなかったため、正式な神聖ローマ皇帝ではない。前王朝のホーエンシュタウフェン朝(Hohenstaufen dynasty, Staufer)の皇帝たちはイタリアの支配にこだわり、ローマ教皇やイタリア諸都市と血みどろの抗争を繰り広げた結果、帝国を疲弊させた。ルドルフ1世はこの失敗を教訓とし、危険なイタリア遠征(戴冠式)をあえて後回しにした。その代わりに、反抗的なボヘミア王オタカル2世などの諸侯を討伐し、オーストリアの領土をハプスブルク家の私領として確立することに全エネルギーを注いだ。治世の終盤にはニコラウス4世(Nicholas IV)との交渉が進み、戴冠式の計画も立ち上がったが、決行される前にルドルフ1世は病に倒れて亡くなっている。
参照:西洋美術史
'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"
