東方三博士の礼拝

バロック[baroque]期のフランドルの画家であるピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens;1577-1640)の1624年の作品の中央にひときわ大きく立つバルタザール(Balthasar)の部分。アントウェルペン王立美術館所蔵。

ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577–1640)が1624年から1625年にかけて制作した《東方三博士の礼拝》は、アントウェルペン王立美術館に所蔵される彼の成熟期を代表する大作である。本作はアントウェルペンの聖ミカエル修道院(プレモントレ会、1124年創設)の主祭壇画として発注されたもので、1624年はその創設からちょうど500年の節目にあたる年であった。主題は『マタイによる福音書』第2章に記される東方三博士の礼拝であり、救世主キリストの誕生を世界の諸民族が認め、その前にひれ伏すという普遍的救済の理念を、壮麗な群像構成と豊かな色彩によって表現している。

構図は画面全体に緊張感ある対角線を形成しており、向かって右側に聖母マリアが幼子キリストを抱いて静かに座し、後方にヨセフと思われる人物が寄り添っている。マリアは豪奢な衣装をまとった王侯や従者たちとは対照的に簡素な赤褐色の衣をまとい、その静謐な存在が画面の精神的中心を形成している。幼子キリストは裸体で描かれ、神の子が人間としてこの世に生まれたことを象徴するとともに、周囲の豪華な献上品や華麗な衣装との鮮やかな対比を生み出している。

三博士は向かって左から右にかけて画面前景から中景にかけて配置されている。最も左に立つのは白髪・白髭の老人メルキオールで、深紅の豪奢なマントをまとい、金の杯を両手に持っている。その右手前でひざまずいているのがカスパールである。白い典礼衣装(サープリス)と金糸刺繍のストールを身に着けており、これはルーベンスによる革新的な表現であり、聖書の降誕物語を聖体秘跡の典礼(ミサ)と結び付ける神学的意図を示している。三博士のうちカスパールがこの前景の礼拝位置に配されるのは、一般的な図像(最年長者メルキオールが最前列)とは異なるルーベンス独自の解釈である。

画面中央にひときわ大きく立つのがバルタザールである。浅黒い肌に、ベージュ・黄緑がかった色のターバンを頭に巻き、深緑の衣と毛皮を縁取りに用いたマントをまとった堂々たる体躯の人物で、視線は右の幼子キリストへと向けられている。三博士のうちアフリカを象徴する人物として伝統的に描かれてきたバルタザールを、ルーベンスは画面の中央に大胆に据えることで、異邦世界全体の代表者として格別の重みを与えている。ルーベンスはバルタザールの衣装を、1615年にアレッポに滞在し1619年頃アントウェルペンに戻った商人ニコラス・デ・レスペニヤの肖像画の図像に基づいて描いたとされており、当時の東方世界への深い関心と知識がここに反映されている。

背景には従者・兵士・ラクダとその御者たちが密集しており、遠方からやってきた王侯の行列の壮大さを伝えている。画面左奥には石柱や建築の断片が見え、厩舎の粗末な木組みが右側に広がる。これら世俗的な壮麗さと、わらの上に座る聖母子の質素さとの対比は、本作の中心的なテーマである権力と謙虚さの相克を視覚的に体現している。人物たちの視線や身体の向き、槍や旗の傾きは巧みに統制され、観る者の視線は自然に三博士から聖母子へと誘導される。

ルーベンスはこの作品を、わずか二週間という驚異的な速さで完成させたとされ、2007年の精密調査においても工房助手の関与は認められず、全面的にルーベンス自身の筆による作品と判定された。本作が1794年のフランス占領期に押収されてパリへ運ばれ、1815年のワーテルローの戦い後に返還されてアントウェルペン王立美術館に収蔵されるという数奇な歴史を辿ったことも、この作品の来歴として特筆に値する。

参照:西洋美術史


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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