日本の兜

1613年に江戸幕府第2代将軍の徳川秀忠[1579-05-02〔天正7-04-07〕–1632-03-14〔寛永9-01-24〕;在位:1605〔慶長10〕–1623〔元和9〕]がイングランド王のジェームズ1世[Charles James Stuart, 1566-06-19–1625-03-27,在位:1603-03-24–1625-03-27]に贈った兜.

1613年, 徳川秀忠がイングランド王ジェームズ1世に日本の甲冑を含む贈答品を送ったという事実は, 日英関係史の初期段階を象徴する重要な外交事例である.この贈答は, 江戸幕府とイングランド王権との間で直接的な外交意思が確認された最初期の具体的行為の一つと位置づけられる.

この出来事の背景には, イングランド東インド会社による日本進出がある.1600年代初頭, ポルトガルおよびスペインに後れを取っていたイングランドは, アジア貿易網への参入を国家的課題としており, 1613年6月, ジョン・セーリス[John Saris]率いる使節団が国王ジェームズ1世の国書と贈答品を携えて平戸に到着した.セーリスは東インド会社の商館長として平戸に商館を開設し, 同年9月には江戸に赴いて徳川家康・秀忠父子と謁見した.この交渉の過程において, 将軍徳川秀忠の名により, イングランド王への返礼として日本の甲冑が選定されたのである.

贈られた甲冑は, 当世具足ではなく, より伝統的な胴丸形式の日本甲冑一式である.兜, 胴, 袖, 草摺, 佩楯, 脛当などから構成され, 実用性と儀礼的格式を兼ね備えた武具であった.兜は複数の鉄板を鋲留めして成形する日本特有の構造を持ち, 黒漆塗りや威糸による装飾が施されていた.これらは単なる戦闘用具ではなく, 武家政権の権威, 武士の統治理念, ならびに当時の高度な工芸技術を象徴的に示す外交贈答品であった.

この甲冑が選ばれた理由は, 日本側にとって武具が最も端的に「武の政権」としての自己像を表現する品であったからである.徳川幕府は関ヶ原の戦いを経て成立した軍事的正統性を基盤とする政権であり, その将軍が外国君主に贈る品として, 武士の装束である甲冑は極めて適切であった.一方, イングランド側にとっても, 日本の甲冑は未知の東洋文化を体現する希少な工芸品であり, 王権の威信を示す王室コレクションとして高い価値を有した.

この甲冑は1614年, セーリスが帰国する際にイングランドへ運ばれ, ジェームズ1世に献上された.その後, 王室財産として保存され, 現在はロンドン塔に起源を持つ王立武具博物館の所蔵品として伝来している.現存する日本国外所在の日本甲冑としては最古級に属し, 17世紀初頭の日本甲冑の実態を伝える資料であると同時に, 初期日英外交関係を物語るきわめて貴重な文化財である.

なお, 平戸のイングランド商館は, 貿易採算性の悪化や幕府の対キリスト教政策の厳格化などを背景として, 1623年に閉鎖された.この甲冑贈呈は, わずか十年余で終息する初期日英通商関係の中でも, 最も象徴的かつ華やかな時期を示す遺産として位置づけられるのである.


'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"

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