

ゼネラル株式会社[GENERAL Inc.,日本].
ゼネラルは1936年1月15日, 八尾敬次郎が東京・浅草において株式會社八歐商店を設立し, 蓄音機および付属品の製造・販売を開始したことに始まる.創業初期の売上高は年数十万円規模にとどまっていたが, 当時としては新興の音響機器市場において一定の存在感を示していた.1938年にラジオ受信機の製造を開始したことは同社にとって最初の大きな転機であり, 製造業への転換により売上高は急拡大し, 戦前末期には年商数百万円規模に達したとされる.
1941年には無線機, 測定器, 拡声装置など軍需関連機器の製造を開始し, 事業領域を拡大した.この時期は戦時経済の影響により売上高が急増し, 利益水準も高まったが, 同時に民需依存から脱却する構造変化を経験した時期でもあった.1946年に商標「ゼネラル」の使用を開始した戦後直後は, 混乱の中で売上は一時的に落ち込んだものの, 復興需要を背景として1950年前後には売上高が再び戦前水準を上回った.
1950年代に入ると家電事業へ本格参入し, 1952年のテレビ量産化, 1953年の電気洗濯機生産開始を契機として事業規模は飛躍的に拡大した.1955年に八欧電機株式会社へ社名変更した頃には, 売上高は数十億円規模に達し, 家電メーカーとして安定した黒字経営を確立していた.この時期の成長が, 後の総合家電メーカーとしての地位の基盤となった.
1960年のウインド形エアコン発売は, 同社の収益構造を変える決定的な転機であった.1964年に量産体制へ移行した頃には空調事業が急成長し, 1960年代後半には売上高が100億円規模に達した.1966年に株式会社ゼネラルへ社名変更した時点で, 同社は高い利益率を誇る空調事業を中核に, 国内有数の総合家電メーカーとして評価された.
1969年に世界初の電子キャッシュレジスターを実用化したことは技術面での画期であり, 1970年代にかけて海外展開を加速させた.1971年のカセット形エアコン「ミンミン」開発と中近東向け輸出開始により, 輸出比率が上昇し, 1970年代半ばには売上高が300億円前後に拡大した.この時期は海外事業の先行投資により利益率は一時低下したが, 長期的成長への布石となった.
1984年9月の富士通との資本・業務提携は, 同社史上最大級の転機である.提携直前の売上高は1,500億円規模に達しており, 1985年に株式会社富士通ゼネラルへ改称した後は, 情報通信システム事業の拡大により事業ポートフォリオが高度化した.富士通との提携により経営基盤が強化され, 1990年代には安定的な収益を確保した.
2000年代初頭には事業再編が進み, 2003年の冷蔵庫事業撤退を経て, 同年に世界初のフィルター自動清掃エアコンを投入したことにより, 空調事業の付加価値が一段と高まった.2008年に映像情報事業から撤退した後は, 空調と情報通信に経営資源を集中させる体制が確立された.
2020年代に入ると富士通グループ再編の流れの中で, 富士通ゼネラルの位置づけが大きく変化した.2023年度には連結売上高が約3,165億円, 営業利益は57億円となり, 2024年度には売上高が約3,541億円, 営業利益は145億円に改善した.空調専業に近い企業として事業の選択と集中を進めていた.
2025年1月, パロマ・リームホールディングスによる買収が発表され, 買収総額は約2,560億円とされた.この評価額は, 安定した収益力と空調技術の将来性を反映したものである.同年8月に上場廃止となり, 富士通グループから完全に離脱したことで, 約40年に及ぶグループ企業としての歴史は終焉を迎えた.
2026年1月1日, 創業90周年の節目に商号を株式会社ゼネラルへ変更.同社は再び「ゼネラル」の名を冠し, パロマ・リームグループの空調事業中核として新たな成長段階に入ったのである.蓄音機販売から始まり, 家電メーカー, 富士通グループ企業を経て, 再独立に至るまでの各段階で, 売上高・利益・企業価値の節目が明確に刻まれている点に, 同社の長期的発展の特質がある.
創業90周年を迎える2026年1月1日, 同社は商号を株式会社ゼネラルへ変更し, 41年ぶりに旧社名へ回帰した.この商号変更は, パロマ・リームホールディングスのグループ企業として新たな歩みを始めると同時に, 戦後間もなくから使用してきた「ゼネラル」ブランドを前面に掲げ, モノづくり企業としての原点に立ち返る姿勢を示すものといえる.
その後,ゼネラルは, パロマ・リームグループにおける空調事業の中核企業として位置づけられ, 給湯機器と空調機器の技術的・販売的シナジーを活かしたグローバル展開が期待されている.蓄音機商社として出発し, 総合家電メーカー, 富士通グループ企業を経て, 再び「ゼネラル」の名を掲げる独立色の強い企業へと回帰した点に, 同社90年の歴史的特質がある.
| 1936 | 八尾敬次郎が株式會社八歐商店開業[1/15]. |
| 1938 | ラジオ製造開始. |
| 1942 | 八歐電機株式會社と改称. |
| 1946 | 「ゼネラル」の名称使用. |
| 1947 | 有限會社八歐無線電機製作所を吸収合併,八欧無線電機株式会社となる[11]. |
| 1948 | 八歐無線と改称[11]. |
| 1950 | スーパーヘテロダイン[superheterodyne receiver]方式ラジオ生産開始. |
| 1952 | テレビ量産体制へ. |
| 1953 | 噴流式電気洗濯機生産開始. |
| 1955 | 八欧電機株式会社に社名変更[2]. |
| 1960 | ウィンド型クーラー発売. |
| 1964 | 電気冷蔵庫の生産ライン設置. ゼネラル電子工業株式会社設立. |
| 1966 | 株式会社ゼネラルに社名変更[11]. |
| 1967 | 新庄電機株式会社設立. |
| 1968 | 電子式卓上計算機製造開始. |
| 1969 | 電子キャッシュレジスター開発[世界初]. |
| 1971 | カセット型クーラー「ミンミン」開発.ウインド型エアコンを中近東へ輸出. |
| 1973 | 中部ゼネラル[静岡]を設立. |
| 1976 | 米沢ゼネラル株式会社,テクニカ社[NY]を設立. |
| 1977 | テレトン社を設立[London]. |
| 1980 | ゼネプラス社を設立[サンパウロ]. |
| 1982 | 大型スプリットエアコンを発売. |
| 1984 | 富士通と資本業務提携[9]. |
| 1989 | 株式会社富士通ゼネラルエンジニアリングを設立. 株式会社富士通ゼネラルと社名変更[10]. |
| 1989 | 温水ルームヒータを発売. |
| 1993 | 富士通将軍(上海)有限公司を設立. |
| 1999 | 富士通ゼネラルエレクトロニクスを設立. |
| 2001 | ビルマルチエアコン事業に参入. |
| 2002 | プラズマディスプレイによりエミー賞授賞. |
| 2003 | 冷蔵庫事業から撤退. 世界初の自動フィルター清掃機搭載エアコン「nocria」を発売. |
| 2008 | 映像情報事業から撤退. |
| 2009 | 新庄富士通ゼネラルを解散. |
| 2012 | 東芝キャリアとツインロータリーコンプレッサ製造の合弁会社TCFG Compressor(Thailand)Co.,Ltd.を設立. |
| 2008 | 映像情報事業から撤退. |
| 2016 | 米国Rheem社と北米空調機ビジネスで協業. |
| 2017 | イタリアのG.I. Holding S.p.A.と包括提携を目指した協業に基本合意. |
| 2018 | インドの空調設備設計・施工・サービスメンテナンス会社 ABS Aircon Engineers Private Limited を子会社化. オーストラリアの空調機サービスメンテナンス会社 Precise Air Group [Holdings] Pty Limited の全株式を取得し,完全子会社化. |
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.