藤原北家道兼流

藤原北家.摂政関白太政大臣・藤原兼家[929-990]の子・道兼[961-995]を祖とする一族.

藤原道兼は父・兼家の意を受けて花山天皇を出家・退位させたことで知られる[寛和の変;986].花山天皇の出家により,藤原兼家の孫の懐仁親王が一条天皇として即位.この事件により,藤原北家小野宮流・藤原実頼の次男であり,円融・花山両天皇の関白であった藤原頼忠[924-989]は辞任に追い込まれた.

藤原兼家は摂政となり,兼家の死後は道兼の兄の道隆[953-995]が関白に就く.藤原道隆は死に際して,嫡男・伊周を後任の関白と願うも受け入れられなかった.藤原道隆の死後に,道兼が待望の関白の座に就くもすぐに亡くなったため七日関白とよばれた.

藤原道兼の嫡男であった福足君は夭折していたため,次男の兼隆[985-1053]が家督を継いだ.藤原道兼亡き後,道兼の兄・道隆の子の伊周・隆家兄弟と道兼の弟・道長による熾烈な権力闘争が勃発.これに対して,藤原兼隆は叔父の道長の側近として過ごした.

系譜

兼房裔 宇都宮,小田,大久保,秋元,留守,余目,宮城,菅谷.





















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