
〔読み〕うええびす。
鹿児島県いちき串木野市に多い。上夷姓の具体的な由来として注目されるのが、現在のいちき串木野市港町に残る「夷ノ下(えびすのした)」という小字である。名字の由来に関する資料では、この「夷」に対して「上」の位置関係を示すことで「上夷」という名字が成立したとする説がある。
すなわち、「夷」という場所を基準として、その上手に居住する家を「上夷」と呼んだことが名字の成立につながったと考えるものである。この場合、「上」は方角・地勢上の位置を示す接頭要素であり、「上野」「上村」などと同じような地名姓の構造を持つ。
「夷ノ下」の「夷」がなぜ「えびす」と呼ばれていたのかを考えると、いちき串木野には極めて興味深い地域伝承が存在する。照島には「男池(おぶち)」「女池(めぶち)」と呼ばれる場所があり、ここには伊邪那岐命と伊邪那美命の第三御子である夷の三郎の神(えびすのさぶろうのかみ)が静養していたという神話が伝えられている。夷の三郎の神は照島に流れ着き、そこで身体を休め、釣りをしたと伝えられている。
さらに、いちき串木野市には西浜町や元町などに恵比須神社が存在し、事代主命を祀っている。西浜町の恵比須神社では、漁業と結び付いた「魚願相撲」などの祭礼も行われている。このことからも、串木野の沿岸社会では「えびす」が漁業・豊漁・海上安全と結び付いた信仰対象として根付いていたことが分かる。
また、いちき串木野では「上夷」だけでなく、「下夷」「前夷」といった「夷」を含む姓も確認される。この事実は、「夷」が特定の一軒の屋号だけではなく、地域内の一定の場所を示す名称として機能していた可能性を示唆する。「上」「下」「前」という位置関係によって、それぞれの居住地や家を区別したのであれば、「上夷」は「夷に関係する場所の上手にある家」を意味する在地的な名字として理解できよう。
初版:2026年08月30日(月)。
デザイン名字. 
