
〔読み〕にゅう、うし、ぎゅう。
富山県に比較的集中。富山県射水市・高岡市などに分布。富山県射水市中新湊には、元々は牛屋という屋号から称した「牛谷(うしたに)」であり、明治期の新姓制定・改姓の際に「牛」となったとも伝わる。
なお、越中には「牛」を冠する地名が古くから存在する。例えば、富山市周辺には「牛岳」「牛ヶ首」などの地名があり、牛岳は残雪の形や山容が伏した牛に似ていることから名付けられたとする伝承がある。また、大国主命が牛に乗って山に登ったという伝説も伝わっている。
新湊地区の中心である放生津は、古くからの港町であり、江戸時代には加賀藩領の港として発展した。特に江戸後期には北前船交易が盛んになり、放生津は越中でも有数の海運拠点となった。射水市によれば、青森県三厩湊の「客来帳」では、越中から来航した北前船のうち放生津からの船が突出して多く記録されている。つまり新湊は、単なる漁村ではなく、船主・廻船業者・商人・漁業者・職人などが密集する港湾都市であった。この社会構造が名字の特徴に直結したと考えられる。江戸時代の町人社会では、名字よりも屋号が商家や家を識別する重要な名称として機能した。「○○屋」という屋号によって、その家の商売、商品、職業、特徴などを識別したのである。新湊では、明治初期に平民にも名字が必要となった際、既に地域社会で定着していた屋号を、そのまま名字に転用した例が多かったと伝えられている。その結果、新湊には通常の農村型の名字とはかなり異なる名字が残った。たとえば漁業・海運を反映した魚、釣、網、海老、魚倉、波、灘、商業・食品関係を思わせる米、酢、飴、菓子、糀、さらに生活用品や職業に由来すると考えられる桶、車、水門、風呂、綿、石灰、瓦、壁、大工などである。さらに牛、鹿、鵜、菊、草のように動植物名そのものを名字とした例もある。
初版:2026年08月30日(月)。
デザイン名字. 
