止利仏師

法隆寺金堂の『釈迦三尊像』(推古31[623].3)の作者として知られる人物。三尊像の光背裏面には司馬鞍首止利仏師(しばくらつくりのおびととり)とある。
また、日本書紀にも推古13(605)年4月に元興寺(法興寺=飛鳥寺)に丈六の仏像を運び込むときに仏像が金堂の戸よりも高くて搬入出来なかったのを搬入した人物としての紹介がある。
『元享釈書』によると止利仏師の祖父司馬達等は南梁(502-557)の人であり継体帝16(522)年に来日。また、父の多須那は『扶桑略記』によると百済鞍部多須那との記述があり仏像の制作に携わっていたことで知られている。
そして、この止利仏師こそは「日本彫刻史の最初を飾る偉大な作家であったと言わなければならない」(小林剛、『日本の彫刻--歴代名工を追って』、至文堂、1990年)
止利仏師の作品としては、安居院(飛鳥寺)にある通称『飛鳥大仏』こと『釈迦如来』(推古17[609])、日本美術史初期の傑作として明治期にフェノロサや岡倉天心によって再発見された法隆寺夢殿の『救世観音』、法輪寺の『虚空菩薩』などがある。